中後悠平「戦力外」から米国で甦った男の決断 3Aに昇格、日本プロ野球への復帰はあるのか

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想定外に出足は悪かったが・・・・・・(撮影:風間 仁一郎)

2Aからスタートした渡米2年目の今シーズン、中後自身が想像だにしない不調に見舞われてしまったのだ。4月23日までは防御率0.79と好投していたが、それ以降はピッチングが乱れに乱れた。次の登板となった4月26日の試合ではわずか1/3回で3失点。5月に入っても乱調が続き、ついに防御率6.0にまで落ち込む事態となった。

「誰でも波っていうのはありますし、好不調はあるじゃないですか。そこで不調になった時に、ちゃんとした修正が利かなかったというか、正直言ってどうしていいかわからないところにまで落ちてしまったんです。日本におった時の『一軍に上がるために抑えなあかん!』っていう感覚と同じですよ。本当は目の前の試合を抑えることが大事やのに、先のことを見過ぎて目の前のことができへんという・・・・・・戦力外通告を受けたシーズンと同じ自分に戻りかけてしまったったんです」

だが中後は、ここで日本時代の轍(てつ)を踏む事はなかった。

本人が今シーズンの最も印象に残ると語る1試合がある。「そこが僕の転機っていうか、分岐点になった」とハッキリ反芻するのは、絶不調で迎えた5月9日、本拠地で行われたカブス傘下2Aの対テネシー・スモーキーズでの登板だ。

0対6と敗戦濃厚で迎えた9回表、中後が3番手でマウンドに登った。

「パコーン!とホームラン打たれたんです。でもその1イニングの内容はとても良かったんです。コーチも絶賛してくれて『次から抑えられる』っていう自信がついたんですよ」

一体、この試合の登板で中後にどんな変化があったというのか。

「ここで変わらんと終わる」

「ここで変わらんと終わる。『ここしかない!』と思ったんですよね」

左の変則投手である中後の最大の武器は、わかっていてもバットに当てることの出来ないキレキレのスライダー。学生時代から千葉ロッテまで、一貫してストレートとスライダーだけで勝負して結果を出してきた。プロでメシを食って行くためには投球の幅を広げなければ。そう頭では理解していたものの「ドラフト2位で入団して1年目から即戦力になって余計にプライドが邪魔してたんです。悪いときでもスライダー、スライダー、スライダーって意地を張るというか、今思えば変わることから逃げてたのかも」という。

そんな中後が、数年前から密かに精度を磨いていた球種を、5月9日のこの試合でついに解禁した。それは、ツーシームとチェンジアップだった。これまでにない中後の緩急つけたピッチングは、すぐに数字となって表れた。

6.00にまで落ち込んだ防御率が、6月は1.32、7月は1.60、シーズン最終の8月も1.59と圧倒的な結果を残した。

「あの日から三振が減ったんです。その代わりゴロが増えて、球数も減って。それがアメリカで求められているピッチングだと思うので」

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