貸会議室のTKP「空間再生ビジネス」に金融のノウハウあり | 愚直に続けたから 成功した、ワケじゃない

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貸会議室のTKP
「空間再生ビジネス」に
金融のノウハウあり

ティーケーピー河野貴輝

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ティーケーピー
社長

河野貴輝

貸会議室のTKP
「空間再生ビジネス」に金融のノウハウあり

2017年11月、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(以下、EOY)2017・ジャパンが開催され、日本代表が選出された。受賞者はティーケーピー社長の河野貴輝氏。空間シェアリングビジネスの先駆けとして、国内外1800室、13万席を超える貸会議室の運営をする。現在は、法人向けの貸会議室ビジネスをもとに、直営ホテル事業などにも進出。2017年3月には株式上場も果たした。そんな河野氏が、EOY日本代表として、モナコで開催される世界大会に参加することになる。今回は、その意気込み、そして、成功の要因について話を聞いた。

モナコでは世界で戦える
起業家としてのプレゼンをしたい

――EOYの日本代表に選出されました。今、どんなお気持ちでしょうか。

河野すごくうれしいですね。日本代表に選んでいただいたからには、世界大会でもしっかりと戦っていきたい。もともと世界で活躍する起業家を目指していたので、ようやくその第一歩を踏み出せたという思いです。また、起業家としての普段の思いをぶつけることができてよかった。日本の起業家の一員として認められたことが素直にうれしいです。

>>>EOY2017ジャパンの模様はこちらから

――モナコでの世界大会に出場することになります。

河野世界で戦える起業家としてのプレゼンができるようにしたいですね。2010年にニューヨークに子会社をつくって世界への挑戦を拡大させてきましたが、今のビジネスモデルが通用するかどうか、世界でもどう評価されるか楽しみにしています。

――学生の頃から起業家になりたかったそうですね。

河野起業するために、まず大学時代に株式投資を始めました。当時、会社をつくるには資本金として1000万円が必要だったので、その資金をつくるためでした。でも、だまされて株式投資はうまくいきませんでした(笑)。アルバイトで月20万~30万円を稼いで、奨学金ももらっていましたが、それも全部株式に投じるという生活です。一時は少し儲けましたが、あとは大損。借金をして株式投資をしていたこともあり、まさにどん底に落ちました。

 そのリベンジの気持ちもあって、大学3年生のときに財務会計のゼミを選びました。でも、公認会計士を目指す人たちが多いゼミだったので、自分のしたいこととは少しずれていた。卒論では自分だけ勝手に「決算情報と株価」の関連性を調べる実証分析をしていました。

 結局大学時代は、とにかく相場の世界で損をしないためには、どうすればいいのかということで頭がいっぱいでした。ならば、プロになればいい。そう思って、就職活動では国内証券、海外証券、投資信託、保険のファンドマネージャーの職に応募しまくっていました。

総合商社で
金融ビジネスに従事

――大学卒業後は、伊藤忠商事に入社されました。

河野証券会社からも内定をもらっていましたが、大学の先輩から「総合商社のディーリング部門も面白いよ」と言われたことがきっかけで商社に興味を持ったんです。当時、伊藤忠では目的別採用をしていて、ディーラー採用という枠がありました。

 少人数で巨額の資金を運用するようなスタイルで、私が入った為替証券部では、5人で1兆円を動かしていました。仮に0.5%の利ザヤでも50億円です。ポートフォリオを組んで、さまざまな投資を行っていました。

――その後、伊藤忠が出資する日本オンライン証券(現カブドットコム証券)に出向され、そこからイーバンク銀行(現楽天銀行)の立ち上げに参画されていますね。

河野カブドットコムでは創業メンバーの1人でした。カブドットコムと出会っていなければ、そのままディーラーを続けていたと思います。当時は外資系証券会社に転職することも考えていましたから。

 カブドットコムの立ち上げ時は忙しさのあまり、寝袋生活になりましたが、それが結果的に私のマインドを変えました。やるならベンチャーだと。この世界に身を置いて、生きていくほうが自分らしいと思ったんです。

 今度はネットバンクをつくろうと、上司と一緒に伊藤忠を退職して、イーバンク銀行を立ち上げました。

 当時個人的には決済会社か物流会社をつくりたいと考えていました。でも、物流会社をつくるには、全国に倉庫が必要になってくるので、大きな資金が必要になる。ならば、プリペイドカードの決済会社をつくろうと思っていたときに、当時の上司からネット専業の決済銀行の創業をもちかけられ、その誘いに乗ることにしました。「なぜ伊藤忠を辞めるんだ」といろんな人に言われましたが、やはり起業したいという思いが強くなっていました。

――その後、2005年に現在の会社を創業されます。

河野われわれのビジネスモデルは、仕入れモデルと営業モデルから成り立っています。貸会議室という空間ビジネスでは、空間を持っている人から借りて、借りたい人に貸さなければなりません。そこをどううまくマッチングするかがポイントです。

 実はそのノウハウをディーリングから学んでいます。たとえば、先物取引で得た知見を応用すれば、取り壊される予定のビルでも、取り壊されるまでの期間をバリューとして考え、まだ使える生きた空間になります。

 また、株式・債券投資で身に付けた適切なポートフォリオを組むことが効果的だということもわかりました。たとえば、取り壊される予定のビルは賃料が安い代わりに1年しか使えないけれど、5年使えるビルを借りて平均を3年にする。そうやって仕入れの平均を保ちながら相場の3~4割安い価格で提供すれば、基本的には損はしません。

 もう一つ、集客についても経験が生きました。たとえば、ネットがなかった時代、イベントは広告代理店に頼むしかなかった。でも、私はカブドットコム時代に、BtoCで集客をやっていた経験がありました。これはBtoBにも応用されるはず。90年代から、そう確信していました。そうしたノウハウを活かして、ビジネスを立ち上げることができたんです。

――ディーリングで得た知見と、BtoCのノウハウをBtoBに応用したことで、大きなチャンスをつかんだんですね。

河野実は当時でも、貸会議室でネット検索している人が1日1万人いたんです。これはすごいと思いました。では、1万人のユニークユーザーの人をどうやって囲い込むのかを考えて動いていました。

 また、会議室に行くには、地図が必要になります。1人のお客様から予約が入ると、結果としてお客様だけでなく会議に参加する人もわれわれのホームページに地図を見に来ます。つまり、1人のお客様がメールやウェブで会議室の場所を知らせることで、自然と50人以上(定員)のお客様を連れてくることになるわけです。そうやって利用者がどんどん増えていきました。

――創業からご苦労されたことはありますか。

河野人材ですかね。当社は安く仕入れて、安く提供する。営業マンもおらず、ネットのみで展開していたのでリスクは最小限です。とはいえ、創業当初は人材が足りなくて、あらゆる人に声をかけていました。とにかく仕事を処理していくのが大変でしたね。

――ターニングポイントになったのはいつでしょうか。

河野リーマンショック後と東日本大震災後です。リーマンショックのときは本当に苦しかった。1カ月で1億円の赤字が出ていましたから。でも、運が良かったことに、タイミング良く事前に金融機関から資金調達を済ませていたので、資金繰りに困ることはありませんでした。そのとき私は先頭に立って、価格を下げて客数を増やしていくという戦略をとりました。それが功を奏し、リーマンショック前と比べて客数を2倍にすることができました。

 東日本大震災のときは、震災の影響で東京では3月、4月にキャンセルが相次ぎ、一時売り上げがほぼゼロになりました。でも、大阪が堅調だったことで救われ、さらに東京でもキャンセル料をいただかず、その料金分を期間外でも使えるようにしたことで、5月、6月とお客様が戻ってきてくれました。

 また、TKPではホテルの宴会場事業へと本格的に乗り出そうとしている矢先でした。震災からわずか一カ月半後には、旧パシフィックホテル東京の宴会場をリノベーションして開業した「TKPガーデンシティ品川」のオープニングパーティーが決まっていました。このパーティーは、ある確信と決意があって決行しました。

 「日本は必ずこの危機を乗り越え、復活する」という確信、そして、逆転の発想で「ピンチの今こそチャンスに変えていこう」という決意でした。日本中から大きなイベントが一気に自粛してしまっていた最中、その空洞に切り込んで行きホテル宴会場事業を一気に推進していこうと決めました。株でいうところの「逆張り」の発想です。

自分のイメージを
“見える化”することが重要

――起業家として成功したいと思うなら、何が必要だと思われますか。

河野一言で言えば、センスでしょうか。当然、自分でできないことは人から学んだり、歴史を勉強したりして身に付けていくんですが、ある程度以上に行くには、センスが必要になってきます。同じビジネスをやっていても、誰が社長になるかどうかで成功できるかどうかも変わってきます。

 ただ、センスとは、その人が人生で培ってきたものの総合力です。私の場合は、どんな小さいことでも注意して見ること、また現場至上主義を通してセンスを磨いてきました。自分自身がビジネスにどっぷり浸かってないと見えないものがありますから。しかも、どっぷり浸かった後に、少し離れて冷静に見ることも必要です。

 さらに言えば、ひらめきも必要でしょう。私は机の上ではひらめかないタイプ。移動中や何か別のことをやっているときに、パッとひらめくんです。

――では、創業から愚直に続けていることは何でしょうか。

河野基本は「執念」や「コミット」です。愚直にやっていくモチベーションがなければ、ビジネスは続きません。創業したころは、会社をつぶしたくないと思っていました。それが一つの大きな原動力でした。でも、守りに入ってしまうと、勝負に負ける。どうやって新しいブルーオーシャンを探しにいくか。そう思い続けないとビジネスは止まってしまいます。

 そのため、私は自分のマインドマップをつくっています。自分のイメージを“見える化”することで、新しいビジネスを創造していくんです。そして、社会の流れをいかにつかんでいくのか。そこに敏感でありたいとも思っています。

――愚直以外に成功をつかんだきっかけはありますか。

河野何でも書くことです。ビジネスは本当に先がわからない。ですから、とにかく私は何事も書いてみることにしています。ノートやスケッチブックだけは山ほど持っていますね。

 ビジネスに正解はありません。結果が出れば、それが正解です。東大やハーバード大を出た人が必ずしもビジネスで成功するわけではない。センスも必要ですが、さらにリスクとリターンをしっかりと考えながら、バランスをもって攻めていくことも重要です。

 たとえば、この事業は何年続けることができるのか。ビジネスに耐用年数があることを考えれば、すべては組み合わせです。単一ビジネスほど危ないビジネスはありません。いかに複合化するのか。リソースをどのように振り分けるかが必要になってくるんです。

――将来、どういった会社にしていきたいとお考えですか。

河野空間再生から始まったビジネスですが、将来的には事業再生にも携わっていきたいと思っています。事業再生をするためには、資産をいかに効率的に活用するのかという要素が必要です。そこにわれわれが培ってきたノウハウを応用したい。ビジネスは目先を追うだけでは成功しません。やはりワールドワイドな目で見なければならない。そうすれば、見える方向性も決断力も変わってくる。これからも新しいビジネスにどんどん挑戦していきたいと思っています。

文:國貞文隆
写真:篠塚ようこ
取材:2017年12月13日

河野貴輝(かわの・たかてる)
ティーケーピー社長

1972年大分県生まれ。96年慶応義塾大学商学部卒業後、伊藤忠商事に入社。為替証券部に配属。99年日本オンライン証券(現カブドットコム証券)設立に参画、2000年イーバンク銀行(現楽天銀行)執行役員営業本部長等を歴任。05年ティーケーピーを設立し、社長に就任。17年3月東証マザーズに株式上場を果たした。