「人口32人」の集落に移住したドイツ人の気概 色鮮やかな古民家が消滅寸前の集落を救った

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移り住んだ当初は集落の人たちに「1年ももたないだろう」とうわさされていたベンクス氏だが、今ではすっかり集落になじんでいる。しかし、そもそもなぜ竹所に関心を寄せたのだろうか。

日本語も堪能なカール・ベンクス氏(筆者撮影)

ベンクス氏が日本に興味を持つようになったのは、日本文化に詳しかった父親の影響だ。1942年、第2次世界大戦中に生まれたベンクス氏の家には、戦死した父親が残したブルーノ・タウトの本や浮世絵などがあり、ベンクス氏も次第に日本の美に心引かれるように。戦後、19歳のとき、自由を求めて東ドイツから川を泳いで西ドイツに渡った。その後、ベルリンの壁ができ、東ドイツに残した家族とは10年以上会えない日々が続いたという。

52歳で竹所に移住した

西ドイツで建築の仕事をしながら空手を習っていたベンクス氏は、24歳のときに初来日。空手修行をしながら建築デザインの仕事を手掛けるようになる。この頃は、東京で内装デザインの仕事をしながら、ゴルフ場に茅葺きのクラブハウスを手掛けた。その後、西ドイツに戻りデュッセルドルフで純和風の日本建築を建築するなど、日本とドイツを行ったり来たりしながらの生活が続く。

ベンクス氏が最初に再建した「双鶴庵」。雪景色に薄紅色の壁が美しい(写真:大出恭子)

竹所を知ったのは、偶然だった。知り合いに誘われ偶然訪れた竹所の豊かな自然に惚れ込み、1994年に自身の住まいとなる古民家を再生し「双鶴庵」と名付け、妻とともに竹所に移住する。このときベンクス氏はすでに50歳を超えていた。移住後は、竹所を拠点に本格的に古民家再生に取り組むようになる。

古民家は、ベンクス氏自ら購入したり、安く譲り受けたりして再生後に住民を探すこともあれば、持ち主から再生を依頼されることもある。元の建物に使用されていた柱や梁などの材料をできるだけ活用しつつ、日本各地から集めたドアや階段、欄間などの部材を組み合わせながら再生させるのがベンクス氏の持ち味。再生には約1年、費用は3000万円ほどかかることが多いが、再生期間や費用は、坪数と建物の内容や状態次第だという。

ベンクス氏が手掛けるのは、主に一般の個人住宅の再生が中心。新たな命を吹き込まれた古民家は、元の持ち主だけでなく、自然豊かな場所での暮らしを求めて移住する人や、都会と田舎の2拠点生活をする人に引き継がれることも多い。

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