ピカソ「ゲルニカ」を生んだのは真実の報道だ フェイクが蔓延する時代のニュースとは

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この爆撃は電撃戦、つまり第2次世界大戦においてドイツ空軍が空からの恐怖によって一般市民の士気を挫くためによく用いた「電撃戦」のための実地演習であったというのが多数派の見方である。ポツダムにある軍事史研究所の空軍専門家であるウルフガング・シュミットは「ドイツ空軍にとってゲルニカは、街への攻撃が人々の間でどのような恐怖と苦悩を与えるのかについての試運転であった」と話している。

スペインで生まれたが人生の大部分をフランスで過ごしたパブロ・ピカソが描いたこともあって、ゲルニカはファシズムの犠牲となったほかのものから際立った存在となっている。

記事が絵の具の色のインスピレーションに

ピカソは爆撃の後すぐに制作に着手した。そのイメージをまるで客観視しているかのように、黒と白と灰色だけを使って、6月までに26フィートもある巨大なキャンバスに描いていった。彼は、爆撃の恐ろしさを記録するためだけではなく、まだ炎が通りを飛び交っていた爆撃後の夜に書かれたある記事にインスピレーションを得て絵の具の色を決めたのである。

南アフリカ生まれのジョージ・スティアは、英ロンドン・タイムズの記者として、スペイン内戦を取材するためにバスク州を訪れた。広範囲にわたって毒ガスが用いられ、救急車でさえ空爆された1935年の残虐なイタリアによるエチオピア侵略の取材後のことだ。空襲後のゲルニカに一番乗りした中で、荒廃した街に関する記事は、生き残った人々の証言に基づいて書かれていた。

「街の7000人の住民と、3000人の避難者はゆっくり、順々に分けられていった」とスティアは書いている。

「特派隊の空爆技術は半径5マイルの範囲にある村々や農場の家屋を爆撃するためのものだった。その夜、村や家屋は丘陵にある小さなキャンドルのように燃えた。周りのすべての村も、街自体と同じ激しさで爆撃され、『ムジカ』と呼ばれるゲルニカの入江の端にある小さな家々が集まった場所で、市民は15分にわたって機関掃射されたのである」

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