33歳、タイで転職繰り返す日本人女性の苦悩 コールセンターは安住の地ではなかった

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そんなふうに忖度(そんたく)する私の心情を察したのか、村上は突然真顔になってこう口走った。

「ここでグチグチうだうだ、助けて下さい、お金貸して下さい!って言ったら何か解決します?」

彼女は物ごいするかのように右手を私に差し出した。

これ以降、彼女と私の会話は淡泊になり、徐々に沈黙の時間が増えていった。こんな奴に自分のことを話しても理解なんかしてくれない、と思われたのか。以前は「次は私がおごりますからね!」と、快活に語っていたが、目の前の彼女にはそんな余裕など微塵(みじん)もないように感じられた。

それでも村上は「今さら日本に帰れない」というプライドと目の前の現実に煩悶しているのか、多くを語りたがらなかった。

居酒屋を出てタニヤ通りを歩いた。

カラオケ店の看板が縦に連なるネオン街は、銀座の夜を彷彿とさせる。露出度の高いドレスを着た若いタイ人女性が店の前で呼び込みをする姿を横目に、私たちは黙々と足を前に進めるだけで、気まずい沈黙が一向に解消されることはなかった。とあるビルまで来ると「店はここの5階なんです」と村上は指さし、その方向へと歩いて行く彼女の後ろ姿を見送った。

2カ月後、ビール片手に内定の祝杯をあげる写真とともに「とりあえず就職が決まりました。あと2社受けて社会復帰します!」と書かれた投稿が、フェイスブックにアップされた。

「仕事は楽しいですよ。何ですかねえ、ちゃんとしたOLができていることも嬉(うれ)しいし。職場のスタッフもいい人が多いので、すごく働きやすいです」

久しぶりに再会した村上は、張りのある声でそう語った。キャバクラは結局、数カ月で辞めていた。心機一転、人材紹介会社に登録して就職活動を始めたところ、工場の施工を請け負う日系の建設会社にあっさり採用されたらしい。

「もっと早くに仕事を探せばよかったんですけど、そういう気持ちにもなれなかったんです。言葉じゃうまく説明できないです。ちゃんとした仕事を探す自信がなかった。でも就職活動をしたらすぐに見つかって。こんなもんで大丈夫なんだって思いましたよ」

『だから居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

現在は研修期間で、会社が購入する資材の価格を調べ、書類にまとめるのが主な仕事内容だという。月給は5万バーツ(約17万4000円)と、タイに来てから就いた仕事の中では最も高い。

「タイにずっといたいです。家賃も安いし人も優しいし。定年まで今の会社で働ければなあと思います。もう会社を辞めたりとかしたくないんで。日本へ帰るのは遊びに行ったり、親に会う時ぐらいで十分です。もし日本に住めと言われたら、また敷金を払って家具を全部買って、新たに仕事見つけてとなるでしょ? 私もう34歳ですよ。また面接受けるのはめんどくさくて絶対に無理です。老後なら住むのはありうるかな。でも年金払ってないですけどね」

直視したくない現実の、逃げた先にあったもの

私がバンコクで取材したオペレーターたちは日本で転職を繰り返してきた人が多い。このまま非正規を繰り返していくのかと、日本で働き続けることに希望を見いだせなくなった人の目に、求人サイトの、

「英語もタイ語もできないけれど海外勤務経験で成長したい!」

「語学留学したいけれど資金が不安、働きながら学びたい!」

というキャッチフレーズが飛び込んできたとしたら? かつてタイを旅行した経験のある人なら、楽しかった当時の思い出が重なり、つい背中を押されてしまうのではないか。

ただ、明確なビジョンを持って海外就職を決意したのか、あるいは日本の現実から逃げるようにして海を渡ったのか。この両者は大きく異なるように思える。これが若者ではなく中高年層ともなれば、後者の可能性は一段と高まるはずだ。そこには非正規というスパイラルから抜け出せない日本社会の現実が見え隠れする。

水谷 竹秀 ノンフィクションライター

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みずたに たけひで / Takehide Mizutani

1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者、カメラマンを経てフリーに。現在フィリピンを拠点に活動し、月刊誌や週刊誌などに寄稿。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮法人」』(集英社)で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)など。

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