38歳「マイナー漫画」に鉱脈を探る男の執着心

単行本を作るまでにこじらせた劇画狼の人生

高校生の間は、格闘技に耐えうる体作りにはげむことに決めた。学校に備え付けられたトレーニングルームに入り浸って思いのまま筋肉トレーニングをしたかったが、トレーニングルームのカギは各クラブのキャプテンしか持たせてもらえないルールだった。

簡単にキャプテンになれるクラブを探すと、バドミントン部の活動がいちばん消極的だった。すぐに入部してキャプテンになった。

劇画狼(げきがおおかみ)/1979年生まれ。おおかみ書房主宰。編集者、評論家、ライター。ブログ「なめくじ長屋奇考録」を運営、「劇画狼のエクストリームマンガ学園」を連載。Twitter:@gekigawolf(写真:筆者撮影)

「バドミントンの練習は一切せず、ひたすら筋トレをし続けました。

バドミントンのラケットを振るときは、自分がどれだけスマッシュを速く打てるか試すときだけでしたね(笑)」

バドミントン部とは思えないムキムキの筋肉を携えて、大学に入学した。そしてキックボクシングのジムに入った。

『蹴撃手マモル』で描かれるムエタイがかっこよくて

「ゆでたまご先生の『蹴撃手マモル』で描かれるムエタイ(タイ式ボクシング)がかっこよくて『俺もなりたい!! 俺はトリケラトプス型のヘッドギアを着ける!!』って思って始めました。漫画内でムエタイの選手は自分を守護する動物のヘッドギアを着けると描かれていたので。もちろん漫画で描かれているムエタイはヘッドギアのこともふくめて大体ウソでしたけど(笑)」

世の中的にもK-1(打撃系立ち技格闘技の大会)が流行っていた頃で、キックボクシングも盛り上がっていた。

大学に通いながらジムに通い、基礎ができた頃にアマチュアの大会に出たらトントンと2~3戦勝つことができた。プロテストを勧められ、受けてみたらあっさり合格。20歳でプロキックボクサーとしてデビューした。

大学は留年せず4年で卒業したが、22歳はキックボクシングの選手として脂の乗っている時期でもあり、このまま就職のためにやめるのはもったいないと思った。

卒業後はフリーターをしながらキックボクシングを続けることにした。

「アルバイトはスポーツクラブのインストラクターを選びました。理由はトレーニングマシンが自由に使えるからですね。そしてアルバイトの後、夜はキックボクシングの練習をしていました」

基本的には毎日格闘技のことばかり考えていた。もちろん漫画は好きで、高校の頃から、『漫画ゴラク』などの漫画が揃った喫茶店に入り浸って『包丁無宿』(たがわ靖之)など高校生が読まないだろう通な漫画を読んだり、人に勧めたりはしていたが、あくまでただのマイナー漫画好きの1人であって、将来自分が漫画製作に関わろうなどとはまったく思っていなかった。

熱心に格闘技に勤しんだ結果、MA日本キックボクシング連盟バンタム級で日本ランキングにも入った。

「有名選手にはなれなかったですけど、ぎりぎりプロでやってたって言えるレベルのところまではいきました。ただ、ファイトマネーは雀の涙で、生活費の足しにもなりません」

ある試合で倒れた相手を蹴り、反則負けになってしまった。モチベーションが下がったところにヘルニアが出た。しばらくは、だましだまし続けていたが、

「格闘技をやるのはもういいかな。格闘技だけが人生のすべてじゃないし」

と思い26歳のときに引退した。

「趣味は格闘技以外にもたくさんあったので、普通に仕事をして、休日は遊ぶ生活スタイルでいいやって思いました」

大阪の町工場に材料発注などをする事務方として就職した。そしてその頃に結婚した。

ただそれまで体を鍛えまくっていただけあって、昼間仕事するだけでは体力がありあまった。

次ページ面白いモノを知ってもらいたいという気持ちから…
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