ロシア革命100年、なぜこうも忘れられたのか 社会主義・共産主義運動は「反革命」になった

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五月革命が自由を求める革命であるとすると、フランス革命への解釈も連鎖的に変わっていく。フランス革命も自由を求める革命だとすれば、1871年のプロレタリアート独裁政権「パリ・コミューン」やロシア革命のような平等を求める社会主義・共産主義運動は、フランス革命とまったく共通点をもたなくなるのだ。

いやそれどころか、ロシア革命は、自由を求める革命に対する反革命のようにも見えてくる。ロシア革命が意味をもつとすれば、せいぜい後進国が先進国に変わるためのテイク・オフ(離陸)のひとつとしての意義にすぎなくなる。

フランス革命がブルジョワ革命であり、それがブルジョワ的自由、すなわち富裕層の私的所有を守る自由を実現したものであるならば、それによって生まれた民衆の貧困を救うための平等を求める声は、自然に生まれるはずである。その革命を実現しようとしたのが、19世紀の社会主義者たちであった。

しかしフランス革命は、富裕層の私的所有の保護ではなく、一般民衆のための私的所有の自由を保障したものであれば、一般民衆がそれに対して不満をもつこと自体がおかしくなってしまう。民衆にも、私的所有権を獲得できる自由が与えられたのであり、その自由に対して声をあげることは、筋違いとなる。

社会主義・共産主義運動は「反革命」になった

フランス革命が自由を求めるものであれば、その後に続く平等を求める声、社会主義・共産主義運動の声は、すべてが反革命のように見えてくる。そのことを示すべく、ロベスピエールによる恐怖政治が持ち出される。自由を求める声は一人の独裁者によって封殺されたのである、と。だからフランス革命は、ロベスピエールが出現して、反革命になったのだと喧伝される。

ロベスピエールが、行き過ぎた自由を抑制するために国家統制を行ったことは、すべて反自由、反革命といったマイナス・イメージで捉えられた。そうなるとパリ・コミューンやロシア革命も、ロベスピエールと同じ流れに位置づけられるようになる。資本主義の行き過ぎた自由、それが引き起こす不平等に対して国家が統制すること、それが社会主義であるとすれば、社会主義はロベスピエールの恐怖国家のように、自由に対する不自由、自由主義に対する全体主義を意味することになる。人類の進歩が自由にあるのであれば、全体主義はそれに対する退歩である。

となると、社会主義・共産主義運動の歴史は退歩の歴史になる。1989年にパリで開かれた地味な学術会議の中で、ロシア革命にいたる19世紀の社会主義、共産主義の歴史は、静かに葬りさられていたのである。

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