エアレース室屋義秀選手が描く「福島の未来」 アジア人初の総合優勝、快挙の軌跡を追った

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アメリカ・インディアナポリス戦での室屋義秀のフライト(写真:Chris Tedesco/Red Bull Content Pool)

そのたゆまぬトレーニングを積んできたことで、今シーズンは全8戦のうち4勝を成し遂げ、5戦で表彰台に立った。

優勝を決めた最終戦のアメリカ・インディアナポリス戦ではコースレコードとなる1分3秒026という驚異的なタイムも叩きだした。

昨シーズン第3戦、日本の千葉大会(千葉市美浜区)で初優勝を成し遂げてから、今シーズン総合優勝を達成するまで、チーム力も大幅に向上した。パイロットであるリーダーの室屋が目立つが、世界を転戦するチームの中では1ピースでしかない。チームは自発的に行動するメンバーばかりだ。

「リーダーは目標設定を正しいレベルで明確にする。とてつもなく遠い目標では達成するまでに疲れてしまうし、勝てない設定でいつもボロ負けでは続かない。そしてチームメンバーのモチベーションを的確に評価することもリーダーの務めです」(室屋)。

アスリートと経営者の二足のわらじ

室屋は、ストイックなアスリートという存在だけではない。実は起業家、経営者としての顔もあるのだ。航空運航と、イベントの企画をプロジェクト展開する航空マーケティングを手掛ける「パスファインダー」という企業を2000年に設立。室屋がゼロからたった1人でスタートした。

最初は会社の建物もなければ、飛行機すらもない。そもそも日本においてエアショーなどビジネスとして儲かる土壌もなかった。「スポンサーにもほとんど興味を持ってもらえませんでした。だったら自分でやるしかない。何も知らない中でスタートしました」(室屋)。

アスリートとしてのトレーニングをしつつも、ビジネスとして成立させるために企画や営業など手探りですべてを1人で担ってきた。どんな状況でもかかってきた電話は受けるようにするなど、24時間フル稼動な体勢でやってきたという。

経理や総務、社会保障、税制など会社経営をするための仕組みに加え、組織マネジメント理論、チームビルディング、さらには話し方などいろんな知識を本から得た。経営しながら事業を学び、不足していたパズルのピースが埋まってくると仕事が舞い込むようになったという。軌道に乗ったのは2007年ごろだった。

その後、2008年にエアレースのスーパーライセンスを取得、2009年にはアジア人初のエアレース参戦を果たす。そんな室屋に転機が訪れたのは2011年だ。東日本大震災や原発事故が発生し、室屋が拠点にしてきた福島市の「ふくしまスカイパーク」も被災した。自分自身がエアレースパイロットとしてキャリアを歩む中で、トレーニングを続けてきた福島は特別な場所だ。

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