ビームス社長「NIKEを売るのは大冒険だった」 「日本にナイキを紹介した男」を知ってますか

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思い返してみれば、もしかしたら日本に初めてナイキを持ち込んだのは当社かもしれません。フィル・ナイトは、アメリカでまったく知られていなかった日本のオニツカを広めようとしましたが、私たちは逆で、日本でまったく知られていなかったアメリカのナイキを日本に広めようとした。そういった意味では、日本でナイキがストリートカジュアルとして定着したことに、私たちもわずかばかりでも貢献したのではないかと思っています。

経営者の苦悩がありありと伝わってくる

――ナイキとビームスの社会的な役割が同じで、近い存在ということですね。

私は小説やドキュメンタリーはよく読みますが、じつは経営書はあまり読まないんです。なぜなら、その著者の考えに影響を受けてしまいますから。経営書は目次だけを見て、「この論点を私ならどうするか」という視点で考えます。でも、『シュードッグ』は経営書でありながら、ドキュメンタリーの要素が大きくて、夜中に睡眠時間を削ってまで読破しました。それほど面白い内容でした。

社長室にいた、古いナイキのシューズで作られた「シュードッグ」(撮影:今井 康一)

もちろん、こうした業界にいるのでナイキの歴史についてはだいたい知っていました。ナイキがブルーリボン社からナイキになったのが、ちょうどビームスがオープンした1976年だということも知ってはいましたが、その時のフィルの深い感情を本書で読むと、興味深いものがありましたね。特に、フィルが抱いていたリアルな悩みには、同じ経営者としてとても共感しました。

たとえば、フィルもブルーリボン社が成長していくごとに資金繰りに苦労し、会社を立ち上げても数年間は副業でおカネを稼いでいました。ビームスも当初は、おカネがないから、売れたら仕入れての繰り返し。売り上げは伸びているのに、いつも会社には現金がない。

じつは私も会社を経営しながら7年間、電通に勤めていました。ビームスからは、給料がとれなかったからです。そんな生活をしていましたから、フィルの会社のトップとしての葛藤は非常によくわかりました。

株式上場という点でもフィルの葛藤が描かれていました。上場して一般株主が入ってくると自分たちがやりたいことができないんじゃないかと不安を感じ、何年もフィルは悩んでいます。結局、ナイキは上場を果たしましたが。私自身も同じように悩んで、現在は自分がトップにいる間は上場しないという結論に至っています。

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