「家、ついて行ってイイですか?」成功の秘密 今やテレ東バラエティを代表する人気番組に

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②「バラエティ」・ドキュメンタリー

これはつまり、太田胃散を飲むときのペラペラの澱粉(でんぷん)紙の味を、もっとおいしくすることを目指す、ということです。

バラエティを生業とする制作局の強みは、やはり「笑い」を作っていこうと努力するということです。良薬でも苦ければ、誰も飲みません。その粉薬を包む紙に味付けし、おいしいオブラートにしてあげれば、子どもでも、苦い薬が不得意な大人でも飲むことができます。

人の生死や社会問題も、「笑い」というオブラートに包めば、本来そういった堅い問題に興味がない層にも訴求することができます。この番組で一般の方々がベロベロに酔っ払いながら語るテーマも、時と場合によっては、離婚だったり、人の生き死にの話だったり、社会問題だったりします。

でも、明るい本人のキャラや、終電を逃すほど飲んでベロベロゆえのおかしさ、そして取材対象者に寄り添う優しいツッコミができるMCのビビる大木と矢作兼によって、ちゃんと笑いに包まれるようになっています。

そうすることで従来のドキュメンタリーのファン層以外にも見てもらうことができるのではないかと思います。

ノーナレーション・ノーミュージック

③「超リアル」ドキュメンタリー

この番組には、まずナレーションがありません。そして音楽もほぼありません(使われるのは、主に締めにかかる「Let It Be」など3箇所のみ)。それは、ナレーションや過剰な音楽は、本来撮影されたもの以上の感情誘導ができてしまうからです。

ナレーションは、言ってもいない心の言葉を勝手に推察して代弁することができてしまうし、音楽は、どんなポンコツなシーンでも久石譲やハンス・ジマーの手にかかれば勇猛なシーンにも悲しいシーンにもなってしまうように、作り手が意図的に、そのシーンの感情を誘導するツールになってしまいます。でもそれはつまり、裏を返せばどんどん素材のリアルさが失われているということです。

ノーナレーションは、海外のドキュメンタリーでは多く使われる手法ですし、ノーナレーション・ノーミュージックも、「大いなる沈黙へ」(厳格なフランスの修道院のドキュメンタリー。修道院との約束で一切のナレーション、音楽を排除した169分の超ドSドキュメンタリー)のように、ないわけではありません。

しかし僕は「大いなる沈黙へ」を見たとき、途中で完全に寝ましたし、商業世界にあくまで身を置くテレビ業界においては、ナレーションや音楽は「むやみに」外すべきではないと思います。それでもなお外すなら、外すデメリットを上回るメリットがある場合にのみ、それを適用すべきです。

「家、ついて行ってイイですか?」では、デメリットをメリットが上回ると思われる、3つの事情が存在しました。

1つは、深夜独特の緊迫感の創出です。それは今までのテレビではあまり見たことのない、違和感を生み出します。

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