「稼げない=無価値」と考える恐ろしい発想 何か人を追いつめているのか?

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これは昨年、相模原の障害者施設で起きた殺傷事件にも通じることです。
あのとき、加害者の行為は非難されても、「加害者の考え自体は否定しない」という声が、ネット上でとても多かった。生産合理性だけを追求する社会の中、「経済的に社会貢献できる人だけが、人として認められる」という空気になっている。とても恐ろしいことだと感じています。

そうした中では、どんなに雇用環境が悪化しても、パワハラにあっても、我慢して黙々と働く、ということになります。「このレールから降りたら、自分の価値はなくなってしまう」という強迫観念にかられるためです。

過労死や過労自殺された方に対して、「会社を辞めればよかったのに」という声もあります。でも、ご本人がそう簡単に思いきれない状況を、社会がつくっているように思います。

親が求めるファンタジーが子どもを苦しめる

――いまは、子育てする親たちも追い詰められがちです。

「親なんだから、とにかくあなたが頑張らないと」という圧力を感じます。すべてが親の責任にされてしまう。子どもが泣き出すと、親が非難のまなざしで見られる。最近「(赤ちゃん)泣いてもいいよステッカー」というのが話題になりましたけれど、そんなものをつくらなければならないほど、子どもと親は抑圧されているのか、と驚きます。

編集者やライターを経て、2000年に『YOU』で漫画家デビュー。2014年『陽のあたる家 〜生活保護に支えられて〜』が貧困ジャーナリズム大賞・特別賞を受賞。2017年10月、新刊『助け合いたい~老後破綻の親、過労死ラインの子~』発売。(撮影:尾形文繁)

それから、もう1つ。「子どもが親を選んで生まれてくる」という話や絵本が人気になっています。それは、子育てが孤独でしんどいものになっている、その裏返しではないかと思うのです。

ファンタジーを信じたくなるのは、現状がつらいからだと思います。孤立した環境で子育てを強いられていることの表れではないか。でも、親はそれで癒やされるかもしれませんが、子どもにとっては、きつい話だと思います。家庭の状況がどんなに過酷でも、子ども自身がそれを「自分で選んだ」ということになってしまいますから。

ここ2~3年、「子どもの貧困」の問題が注目されていますが、それは「貧困=自己責任」とされがちなのに対し、少なくとも子どもの貧困は自己責任ではないよね、と「免責」されているからです。ここを突破口に、貧困問題の解決につなげていこうと。

けれども「子どもが親を選んで生まれる」という説は、子どもすら免責しない。「そんな親を選んだのも、子どもの自己責任」ということになってしまう。そういう面からも、この説が流布することに、わたしは不安を感じています。

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