140年続く刃物老舗が直面した「中国リスク」 旧正月前は「土産用」に商品の盗難が相次ぐ

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刀鍛冶をしていた初代から数えて5代目の渡邉隆久社長。海外展開、オリジナルブランドの構築などを推進している(写真:三星刃物)

現在5代目社長を務める渡邉隆久氏は創業者のひ孫にあたる。4人姉弟の末っ子で唯一の男の子という生まれで、大学を卒業してから米国とドイツに留学し、住友商事での勤務を経て三星刃物に入社した。

幼い頃から父の跡を継ぐのだと疑うこともなく育ったという渡邉社長だが、入社した1980年代後半は2度のオイルショックやプラザ合意によって日本経済が超円高に見舞われ、会社経営も困難を極めていた。円高によるコスト増を抑えるために、1987年に中国・深圳に工場を設立したが、工場の周囲には何もなく地平線が見えるような所だった。

「当時の中国では毎日のように“想定外”の出来事が起きた」と渡邉社長は振り返る。まず、工場を立ち上げると事務作業などを自動で行う自動機が使えないことが判明。敏感なセンサーがホコリなどに反応して機械が止まってしまうためだ。修理ができないので2、3日ラインが動かず、人を雇うほうがよいということになり、手作業で仕事を進めることになったという。

旧正月の土産用に商品を盗む、警備員と結託する…

問題はそれだけではなかった。現地スタッフの倫理観の違いにも翻弄された。あるとき、製品と在庫をチェックしていると、不良率を考えても商品が相当量足りないことが発覚した。調べてみると、当社のスプーンが近隣の商店で売られ、レストランでも使われていることが判明。驚くことに、従業員が工場から持ち出して売っていたのだった。

また、寮を調べたところ大量に製品が見つかったのだが、旧正月の前には地元への土産が必要なので盗難が増えるというのだ。そこで警備員を雇ったものの、逆に警備員と結託してしまう事態も起きた。従業員が材料仕入れで勝手に中間マージンを抜いていたこともあった。

なかなか黒字化しない中国工場の採算改善に本腰を入れたのは1990年代。中国の工場では日本で半製品にした物の最終加工を行っていたが、中国での一貫製造に挑むこととした。輸送コストの削減に加え、将来を見据えると中国での生産能力向上は必須と考えたからだ。

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