サッカー界からの助っ人はバスケを変えるか チェアマンらが語る「本音と展望」

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後になって、「ジェッツが消滅したのは、あの島田が“逃げたからだ”」なんて言われたら、嫌だったから…(写真:矢木隆一)
プロ野球やJリーグに押され、バスケットボールはこれまで日本のスポーツシーンで目立つことはあまりなかった。しかし昨年、バスケの男子プロリーグが発足し、野球とサッカーに続く第3の柱になろうとしている。この流れを加速するうえで重要なカギを握るのが、B.LEAGUEチェアマンの大河正明氏と、今秋、バイスチェアマンに就任した島田慎二氏。
島田氏は、弱小クラブだった千葉ジェッツの代表として、実力、人気ともにリーグ屈指の存在に成長させた張本人でもある(著書に『千葉ジェッツの奇跡 Bリーグ集客ナンバー1クラブの秘密』)。そんなお2人に、これまでの日本のバスケ、そして今後のバスケについて、前回記事「2年目のシーズンを迎えたB.LEAGUEのゆくえ」に続き語っていただく。

日本のスポーツは“ボランティア”の世界?

大河:僕は京都の中学、高校とバスケをやっていて、まあまあ強かった。中学では全国大会でベスト4までいって、高校では近畿の大会で2位になった。僕の前職はJリーグの常務理事だから、「サッカーの人」って見られがちだけど、実は「バスケの人」なんです。

島田:私の場合、バスケとまったくかかわりがありませんでした。高校時代はずっとサッカーをやっていたので、サッカー派なんです。チェアマンはバスケの強豪校にいたという話でしたけど、私の高校はサッカーの強豪校で、高校3年間はずっとインターハイに出ていました。正月の全国高校サッカー選手権大会にも3年連続で出場するくらい強かった。

大河:高校まではすごく身近なバスケだったけど、それを仕事にするなんて感覚は若い頃は皆無でしたね。そもそも、プロ野球と、ここ20年来のJリーグを除くと、スポーツはすべて“ボランティア”の世界。基本は学校の先生を中心としてボランティアで休日とかに運営されてきたのが実態でしょう。

一方、福利厚生ということで企業が実業団チームを持っていて、男子の場合だと1960年から80年代にかけて、日本鋼管とか日本鉱業が強いなんて時代があった。古い話ですけどね。

島田:その後、2005年にJBL(バスケットボール日本リーグ機構)から脱退したチームが、プロリーグとしてbjリーグを立ち上げて、それ以来、2つのリーグが存在する状態続きました。2016年にこの2つが1つになり、本格的なプロリーグとしてB.LEAGUEがスタートしたという流れですよね。

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