日本バスケ界の至宝、24歳富樫勇樹の頭の中 Bリーグで躍動、東京五輪に向け語ったこと 

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とがし・ゆうき/1993年、新潟県生まれ。中学卒業後、単身渡米しバスケ留学。2012―2013シーズンに秋田ノーザンハピネッツ入団、bjリーグ新人賞。2014年渡米、ダラス・マーベリックスと契約。日本人2人目のNBA契約選手となる。同年Dリーグのテキサス・レジェンズでプレー。2015年より千葉ジェッツ。2017年天皇杯で大会ベスト5、オールスターMVPに選出。身長167㎝、現在24歳。(撮影:佐藤主祥)

――アメリカでの高校3年間でプレッシャーに打ち勝つ秘訣は何でしたか。  

いやー、打ち勝つ秘訣は何でしょう。そもそも高校のときは、自信なく3年間やり過ごしたようなものなので。

実際、活躍できたときも自信を持ってやっていたわけではないですし、思いどおりに行かないことも多く、なんとか試合に出場させてもらったりしましたが、自分のプレースタイルで勝負もできませんでした。

今思えばあの3年間の経験があったから成長したと思いますが、良い思い出と感じたことはまったくなく、試合をしていて満足感を感じたことはあまりなかったです。

僕のターニングポイントは2つある

――自分のターニングポイントはこの15歳でのアメリカ挑戦だったと考えていますか。

アメリカもそうですし、日本に戻ってきてプロとしてやりはじめたのもターニングポイントとして考えています。その2つはすごく大きいと思います。

――過去のインタビューで自分は他の23歳とは違う経験をしてきたと語っています。

人と違うことをやろうと思ってきたわけではなく、他の人が選択しないような環境に若いうちから挑戦をしてサマーリーグ(NBAのシーズンオフに行われるリーグ戦)は20歳、Dリーグ(将来のNBA選手を育成する目的のプロリーグ)は21歳と、同年代とは違う経験を積むことができたことは自信につながっています。さっき話した、2つ目のターニングポイント。アメリカから帰ってきて大学に行かずに日本でプロになり、20歳でアメリカに再挑戦できたので、そこは大きかったと思います。

――再挑戦したアメリカでいちばん印象に残っていることはなんですか。

Dリーグは自分の気持ちの問題だったので、自分がもっとアピールすれば良かったとは思います。

現地での自分のプレーやプレータイムも納得のいくものではなかったです。ただ、高校のときにアメリカに行っていたので、そこまで大きな衝撃は受けませんでした。高校のときは同い年でもこんなに身体能力が違うのかと驚いたことが結構ありました。チームメートもトップレベルでしたし、高校で対戦した選手がNBAに行ったり、レベルが段違いでした。その経験もあり、想像していたことと大きな違いはなかったです。

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