政党の企業化で日本の民主主義は危機状態だ 政治家になりたい者の救済組織でしかない

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この基準に当てはめれば、今の日本の政党幹部の多く、特に「新党」と呼ばれる政党の幹部は、政治的指導者というよりも目の前の利益、つまり当選者数を増やすためだけに奔走している「経営者」にすぎない。政党は「当選者」という利潤追求を目的とする「企業」のような存在となっているのである。

この場合、消費者は有権者であり、商品は国民的人気やカリスマ性のある党首、あるいは支持を得る目的でにわか作りされた「バラマキ政策」である。そして、選挙の結果、思うような利益が上がらなければ、あるいは次の選挙を前に経営状態が思わしくなければ、あっさりと会社を売りに出したり、破産宣告してしまう。政党の持続性は極めて脆弱なのだ。さらに社員に当たる議員の帰属意識は薄弱で、より待遇のいい会社に気軽に移ってしまう。それが有権者にとって裏切り行為であろうとまったく気にしないのである。

この10年余りの間、日本の政界はこうした特徴を持つ「企業化政党」が乱立している。古典的な定義に当てはまりそうなのは、独自の支持組織を維持して長く生き残っている「自民党」「公明党」「共産党」しかなくなってしまった。

90年代半ばまでは新党結成には覚悟が必要だった

いつ頃から「企業化政党」がもてはやされるようになったのであろうか。
戦後日本政治を振り返ると、1990年ころまで日本の政界は自民党と社会党が中心の「55年体制」とよばれる固定的な世界だった。この2党以外には、公明党、民社党、共産党などが議席を維持していたが、新党はほとんど登場しなかった。その理由は、今日に比べ特定の政党を支持する有権者が多く、「無党派層」が少なかったため新党が支持を広げる余地が少なかったこと、また、衆院の中選挙区制度では新党が当選者を出しにくかったことなどが理由だろう。

ところがリクルート事件や佐川急便事件など自民党中枢が関与する疑獄が相次いだ結果、1990年代初めになると、長く続いた自民党政治を否定し新たな政治システムを求める勢力が台頭してきた。そこで登場したのが細川護熙氏率いる「日本新党」と、自民党から分裂した「新党さきがけ」、「新生党」だった。最初の新党ブームである。3党とも政治改革や地方分権、脱官僚支配など明確な政策を掲げていた。当時、自民党を離党し新党を結成することは「政治的自殺行為」と言われていた。関係者は必死の覚悟で新党に挑んでいたのだった。

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