30年続く「マタニティコンサート」の感動秘話 胎内で音楽を聴いた赤ちゃんもお母さんに

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とはいえ、お腹の大きな妊婦さんばかりを集めたコンサートなど前例がなく、どのようにすればリラックスしてもらえるかを必死に考えた結果、クラシックだけでなく、子守歌や日本の曲、映画音楽などさまざまな楽曲をフルート曲にアレンジして演奏することにした。レコード制作に携わり、多岐にわたるジャンルの楽曲に触れていたことの影響が大きかったという。

また、当時は、クラシックの演奏家は、曲を演奏するだけのスタイルが一般的だったが、トークを交えたコンサートを始めたことも、画期的だった。「ハイドンのお父さんは車大工の仕事をしていたので手先が器用で、子どもに音の鳴るオモチャを作って、音に興味を持たせました」というような話をしたり、日本の曲を演奏するときには、曲が生まれた土地の話をするなどして、少しでも音楽に興味を持ってもらえるよう努力した。その結果、一風変わったコンサートとして好評を得るようになり、マタニティコンサートとして、しだいに定着していった。多いときには、マタニティコンサートだけで、年間50~60回行っていた時期もあるという。

なぜ、長く活動を続けてこられたのか

こうして船出したマタニティコンサートだが、音大時代の恩師や周囲の人たちからは、「音楽を専門に学んだあなたが、なぜ妊娠中の人を対象にしたコンサートをするのか?」とか「クラシックの曲が演奏できるのに、なぜ童謡を吹くのか?」と言われることも少なからずあった。日本には、西洋のクラシックは高尚なもの、子守歌や日本の曲は大衆的なもので価値が低いと評価する傾向が少なからずあるのだ。また、少しずつ名前が知られるようになるにつれ、「マタニティの吉川久子」といわれるようになるが、これも吉川さん自身は嫌だったという。「マタニティコンサート」を評価されるよりも先に、フルート奏者の吉川久子として評価してほしかったのだ。

そんなこともあり、「まったく迷いがなかったといえばうそになる」という中、30年もの長きにわたって活動を続けてこられた原動力とは何なのか、吉川さんに聞いた。

「まず、私の中で大きいのは、マタニティコンサートにご臨席いただいた、秋篠宮妃紀子様からいただいた“励まし”のお言葉です。マタニティの活動を始めて10年目くらいのときに、主催者を通じて、私にも聴かせてくださいと連絡をいただきました。1993年のことですから、眞子様がお生まれになった後で、翌年に佳子様がお生まれになる、ちょうど間の時期でした。コンサート終了後、紀子様ご本人からいただいた、“いつまでも妊娠中の女性と未来の子どもたちに、フルートの音を届けてください”という言葉は、活動を続けるうえで、大きな励みになりました」と話す。

秋篠宮妃紀子さまに、ごあいさつする吉川さん(本人提供)
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