メキシコ地震、市民が見た心底恐ろしい光景 自宅付近の建物は今も倒壊しそうなまま

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メキシコシティでは多くの建物が倒壊した(写真:Claudia Daut/ロイター)

9月19日、午後1時15分に、マグニチュード7.1の大地震に襲われたメキシコ中部。くしくも、この日は1985年9月19日にマグニチュード8.1の地震に襲われてからちょうど32年後にあたる日だった。今回の地震から3日が経とうとしているが、いまだに倒壊した建物の下敷きとなっている人がおり、救出作業は続いている。

メキシコシティで戦略コンサルタントとして働く私は、地震が発生したとき、ポランコ地区にあるオフィスのすぐ隣のフードコートで、同僚と昼食を取っていた。ポランコはオフィスや高級マンションが立ち並ぶ地区だ。昼食では、メキシコの独立記念日に何をするかを話し合っていた。

「湖上の街」メキシコシティの脆弱性

私はフランス出身で、これまでの人生の大半を欧州で過ごしてきたため、メキシコに来るまで地震を経験したことがなかった。この地震が起こる2週間前にも、就寝中に非常に強い地震(マグニチュード8.2)が発生したが、今回の地震は震源がより近かったため、前回の地震よりはるかに強いと感じた。実際、その被害も前回を超える大きなものとなった。

電灯が揺れ始めたので、すぐにテーブルを離れて建物から出た。周りでガラスが粉々に割れる音がし、電灯やテレビのスクリーンなどが頭上で非常に激しく揺れていた。普段から落ち着いて行動するよう教えられていたはずだが、多くの人は叫びながら走り回っていた。私自身、これまで何度か避難訓練に参加していたが、とっさのことで何をすべきか、どこへ行くべきかわからず、心から恐怖を感じた。

一方、終始落ち着いていた同僚は私の手を取って店舗のガラスのドアから離れ、天井から落ちてきそうなものがないかを確認してくれた。この地区は、ショッピングモールや企業の事務所が多くあるため、多くの警備員がおり、大きな通りでは彼らが誘導係をしていてくれた。

最悪な風景を目の当たりにしたのは、約1分間続いた揺れがおさまってからだ。あちこちで救急車やパトカーのサイレンが鳴り響き、上空をヘリコプターが飛び交い始めた。多くの人は家族や友人、愛する人に連絡をとろうと必死だったが、電話がなかなかつながらない。このとき役に立ったのは、WhatsAppやフェイスブック、ツイッターだった。

やがてフェイスブックに写真やビデオが投稿され始め、地震の強さと被害の大きさがわかるようになった。ただ、こうした災害の怖いところは、断片的な情報を得られたとしても、全体像がなかなかつかみにくいことだ。オフィスの外で1時間ほど待機した後、帰路についた。

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