吉田松陰は本当に「高潔な教育者」だったのか テロを扇動し「アジア侵略」まで唱えた激情家

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「薩長史観」では、こうした暗殺や襲撃については口をつぐんでいるが、彼らは明らかに犯罪者であり、テロリストだったのである。

もはや吉田松陰は、教育者というよりは、激情を門弟たちに燃え移らせる暴力の扇動家であったと言えるのではないか。

今日風にいえば、イスラム過激主義者のテロをあおるアジテーターのようなものであったと言うことができようか。

アジア侵略を唱えた侵略主義者

しかも松陰は、アジア侵略を正当化させるような提言まで行っている。

「琉球に諭し……朝鮮を責めて質を納れ貢(みつぎ)を奉る……。北は満洲の地を割き、南は台湾・呂宋(ルソン)の諸島を収め、慚(ざん)に進取の勢いを示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて辺圉(へんぎょ・辺境)を守らば、則(すなわ)ち善く国を保つと謂(い)うべし」(『幽囚録』)

これは、後の日本が行ったアジア侵略そのものである。松陰は日本を侵略行為に駆り立てたアジテーターでもあったのだ。そして、その理念は、薩長政府に引き継がれたと言える。

こうした吉田松陰の実像は、「薩長史観」によって見事なまでに隠蔽されて、ただ明治維新を成し遂げる草莽(そうもう)の志士たちの精神を涵養した教育者であるとされている。

だが真相は、数々の暗殺や武力的な襲撃をそそのかしてテロ行為を正当化し、のちの日本を侵略戦争に駆り立てた扇動家であったのである。

前回述べように、最近の反「薩長史観」本ブームは、「薩長史観」によって隠蔽され続けてきた真相に迫ることで、明治から現在に至るまでの欺瞞に満ちた歴史的な呪縛を解き放つものでもある。

なかでも「大教育者・吉田松陰」は、薩長史観により偽装された数々の人物像の象徴と言えると思う。

武田 鏡村 歴史家

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たけだ きょうそん / Kyoson Takeda

日本歴史宗教研究所所長、作家。1947年新潟県生まれ。1969年新潟大学卒業。長年にわたり、在野の歴史家として、通説にとらわれない実証的な史実研究を続ける。教科書に書かれない「歴史の真実」に鋭く斬り込む著書が多数ある。浄土真宗の僧籍も持つ。主な著書に『決定版 親鸞』『藩主なるほど人物事典』『新時代の幕開けを演出した龍馬と十人の男たち』『図解 坂本龍馬の行動学』『幕末維新の謎がすべてわかる本』などがある。

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