吉田松陰は本当に「高潔な教育者」だったのか テロを扇動し「アジア侵略」まで唱えた激情家

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この武装蜂起の発想が、後に、松陰が門弟第一と評価する久坂玄瑞が長州藩を使嗾(しそう)して、京都の御所を襲撃し天皇に銃砲を向ける「禁門(きんもん)の変」につながる。松陰の尊皇主義は、建て前のものでしかなかったと言われても仕方ないであろう。

歴史的事実を見ていけば、松陰は教育者と言うよりは、テロリスト集団を育成した扇動者であったと言えるのではないだろうか。

テロリストを育てた扇動者としての一面

松陰は、武装蜂起を躊躇(ちゅうちょ)する高杉晋作ら門弟に対して、憤りの手紙を書いている。

「吾(わ)が輩(はい)なければ、この逆焔(ぎゃくえん・幕府への弾劾)千年立ってもなし。吾が輩あれば、この逆焔はいつもある。忠義というものは、鬼の留守の間に茶にして呑むようなものでなし。……江戸居(い)の諸友、久坂・中谷・高杉なども皆、僕と所見違うなり。その分かれる所は、僕は忠義をする積(つも)り、諸友は功業をなす積り」(「高杉晋作ら宛の書簡」)

幕府への痛烈な批判を起こしたのは、この松陰だ。松陰がいなければ、幕府への弾劾は1000年経ってもなかった――。自分が幕府指弾の先駆者であることを誇り、それは忠義があるからだ、と傲慢とも思われる自己評価をしている。

つまり、門弟を教育するというよりは、自らの考えを絶対視して強引に主張を押そうとする独善者という側面を垣間見せているのだ。

それは、ある意味では狂気の叫びにも似ている。この叫びは、やがて松下村塾の門下生をなり振り構わない暗殺と殺戮の狂気に駆り立てていく。

松陰は「高潔な尊敬すべき教育者」というよりは、「暴挙をそそのかす扇動者」と言えるのではないか。

事実、初代の内閣総理大臣となる伊藤博文は、国学者の塙(はなわ)次郎ほか1人を殺害している暗殺者であった。

さらに高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、井上馨、品川弥二郎らはイギリス公使館を焼き討ちにして気炎を上げている。今でいえば、無謀な外国人テロリストのようなものであろう。

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