人間は、一体どこまで「動物」になれるのか 人間と他の動物たちとの境界は曖昧だ

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さらに、キツネにもなってみせる。キツネはカワウソよりもまだマシなような気もするが、ある意味ではこっちのほうが過酷な生活といえるかもしれない。都会のキツネとして生きるために、著者はネズミを追って街を這いずり回る。『心配して近くに集まって来た不安げな人たちに、自分のことをとりとめもなく説明しようとする。警察官が到着する前に逃げ出す。』もちろん人間が四足歩行でネズミを捕まえられるはずなんてないから、常に失敗する。

“私はこの方法を何時間も試した。ほとんど強迫観念に取りつかれていた。一度もかすったことさえなく、向上することもなかった。数百回跳んで、獲物が目に入った回数は約五回──偉そうに、嘲るように、コソコソ立ち去った。一匹などは実際に振り返った。誰もが、ハタネズミは解剖学的に見て冷笑などできないとおもっていたに違いない。”

 

えぇ……

ありえないほど文章がうまい

『動物になって生きてみた』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

本書にはこうした、読んでいて頭がおかしくなりそうなエピソードがテンコ盛りだが、それだけではない。地べたを這いずり回ることでしか得られないリアルな体験談は、文学から哲学者まで無数の視点を引用し、それがまったく嫌味ではない(ギャグになっている)語りを筆頭とした圧倒的な文章力で描き出されており、驚くほどクリアに"地べたからの視点"を伝えてくれる。さらに、単に「生きてみた」だけではなく、そっくりの生活をするためにも各動物の生理学的な知見が随所に述べられており、そこを読むだけで各動物らがぐっと身近に感じられるようになる。キツネであれば、単なる野生のキツネの生態だけではなく"都会で"生きるキツネが直面する困難(その多くが車に跳ねられ、重症を負った状態で生きているなど)を教えてくれるのだ。

“もしライオンが話せたとしても、ライオンの世界は人間の世界とは大きく異なっているから、私たちには何を言っているのかまったく理解できないだろうと言ったのは、ウィトゲンスタインだ。彼は間違っていた。彼は間違っていたと、私にはわかる。”

 

果たして著者はどこまで動物たちとの境界をなくすことができるのだろうか? 本当に異なる種族の声を聞くことができるようになったのか? そのチャレンジを通してみえてくるのは各動物の特性だけではなく、"人間はどこまでやれるのか"という人間性そのものでもある。こんな変態はそうそう出てくるものではないし、その変態がこれほどまでにおもしろい文章を書く事は、もはやありえないといってもいい。ぜひ読んでこの奇跡を一緒に目の当たりにして欲しい。

冬木 糸一 HONZ

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1989年生。フィクション、ノンフィクション何でもありのブログ「基本読書」運営中。 根っからのSF好きで雑誌のSFマガジンとSFマガジンcakes版」でreviewを書いています。

 

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