雇用が回復しても賃金が上がらない理由 今後の経済政策で重要なことは何か

拡大
縮小

たとえば、日本では長年、春闘と呼ばれる労使交渉を通じた年々の賃上げが、「ベア」と呼ばれる一律引き上げとして制度化されていた。このベアの上げ幅は、企業収益が良ければ上がり悪ければ下がるというように、その時々の景況や個別企業の経営状況に依存して変動した。しかし、経営が悪化してベアの上げ幅がゼロになることはあっても、余程のことがない限りマイナスにはならなかった。それは、ケインズが『一般理論』第2章で指摘したように、労働者は一般に、実質賃金よりも名目賃金の低下に対してより強く抵抗するからである。その結果として生じるのが、名目賃金の下方硬直性である。

各企業の名目賃金改訂に「ゼロ」という下限がある場合、経済全体の平均的な名目賃金上昇率は、不況期でもマイナスにはならない。というのは、慣例としての賃金ベアを維持する企業は、数は減っていくだろうとはいえ、不況期でもそれなりに存在するからである。

つまり、1997年頃までの日本経済では、不況の中で名目賃金上昇率は低下したとはいえ、それがマイナスになることはなかった。むしろ、名目賃金の額自体は上昇し続けた。他方で、不況によってインフレ率は下落し、それはやがてほぼゼロとなった。その結果が、図1が示すような実質賃金上昇率の高止まりであった。

このように、不況の初期段階では、実質賃金は高い上昇率を維持することが多い。これは、不況による総需要の減少が、下方硬直性を持つ賃金よりも、それを持たない物価をより大きく引き下げるためである。この場合の実質賃金上昇は、当然ながら、生産性上昇や労働需要拡大によって生じる完全雇用時の実質賃金上昇とは性格が異なる。

この不況下の実質賃金上昇に直面した企業は、解雇や新規採用の縮小によって雇用をより厳しく抑制しようとする。その結果、経済全体の失業率はより一層上昇する。それが、1997年頃までの日本経済の状況であった。

分水嶺としての1997年経済危機

戦後の先進諸国では、財政政策と金融政策を用いたケインズ的な総需要管理が制度化されたため、1930年代の大恐慌期のような深くて長い景気低迷は、少なくとも2008年のリーマン・ショックまでは生じることがなかった。それゆえに、名目賃金が大きく下落するという状況が長期にわたって続くこともなかった。しかし、1997年からの日本経済では、それが生じたのである。

日本経済は1996年頃に、ようやくバブル崩壊後の不況からの回復過程に入ったかのように見えた。しかし、1997年4月の消費税増税を発端として、景気が再び悪化し始めた。そして、1997年秋には戦後最大の金融危機が生じ、多くの企業や金融機関が破綻した。その結果、1996年には改善のきざしを見せていた雇用状況が再び悪化し、その後の失業率は2000年代初頭まで一方的に上昇し続けた。

そこで生じたのが、戦後のとりわけ高度成長期を通じて日本企業の間で一般化していた雇用慣行の空洞化であった。バブル崩壊以降の長期にわたる収益低下に耐えかねて、多くの企業が従来の慣例であった年功に応じた定期昇給を放棄し、成果主義などの導入を模索するようになった。その目的は明らかに、賃金の切り下げにあった。

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