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防災は“備災・減災”の時代へ

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「日本は地震の活動期に入り、災害のリスクが高まっている、ということに目を背けてはならない」と防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実氏は警鐘を鳴らす。「まずは近い将来必ず来る災いに備える『備災』、そして被害を最小限にとどめる『減災』の時代になっている」と話す渡辺氏に、災害への向き合いかたについて聞いた。

 

都市計画を専門とする中で、そのベースとなる安心・安全なまちづくりの実現に防災の視点が欠落していることを痛感。1987年、都市の防災に関する調査研究、防災対策の企画立案等を行う一般財団法人都市防災研究所への参画を機に本格的に防災・危機管理分野の研究を開始。以来40年あまり、国内はもとより世界の被災地に足を運びながら現場体験をもとにした防災対策などについて辛口の提言を続けている。現在は1989年に設立したまちづくり計画研究所の代表取締役を務める

――もともと渡辺さんは、都市計画が専門ですが、なぜ防災・危機管理分野に取り組まれるようになったのでしょうか。
渡辺 1978年の宮城県沖地震で斜面崩落などの被害に見舞われた仙台市緑ヶ丘団地の造成計画に携わっていたのですが、地震によって壊れたまち並みを見て「こんな柔いまちをつくっていたのか」と強い憤りを感じました。まちづくりとは、人間が生きていく空間をつくることです。ですから当然、安心・安全はまちづくりのベースになるわけですが、ないがしろにしてきた現実を目の当たりにさせられました。

まだ若かったのですが、頭を殴られたぐらいのショックを受けて、建築・土木というハードだけでまちはつくれない、安心・安全を実現するうえで欠かせないソフトをハードとともに車の両輪として自分に取り込んでまちをつくらねばならないと、防災・危機管理分野の研究を始めました。

ただ、当時の防災の世界は縦割りでした。建築、土木、砂防、河川・・・・・・それぞれの分野が個別に存在していて、それらを横につなげて“本当に人間が安全に暮らせる空間”をつくることのできるまちづくり屋が、防災の世界にも必要だと感じました。しかも、社会学や心理学など幅広い分野も含めて多様な視点から安心・安全ついて思考できる人が。そこでハード、ソフトの両面からまちづくりを考える「まちづくり計画研究所」を1989年に立ち上げたのです。

風化は当たり前だがモチベーションを保つ工夫ならできる

――東日本大震災から2年半が経ちますが、その間、国も地方自治体も企業も防災対策に真摯に取り組んできました。その意味で3・11は、多くの人の地震に対するマインドセットを変えたと言っていいのではないでしょうか。
渡辺 それを言うなら、3・11の前に阪神・淡路大震災があったでしょう。いま感じるのは、風化が早いということ。まだ阪神・淡路は神戸という大都市だったから関心が続いたけれども、東日本大震災は三陸沿岸の決して大きいとは言えない集落が被災地の大半だったこともあり忘れ去られるのが早い。その結果として、信じられない復興予算の不正流用も起きています。

阪神・淡路でも家屋の倒壊や火災、液状化など基本的な地震災害が起きたけれども、津波災害と原子力事故は起きませんでした。3・11が起こるまでの18年の間に備えるべきだったのです。人間は浅はかで、実際に起きて被害が出てみないと防災に踏み出しません。けれど、今後かなりの高い確率で発生が予想されている南海トラフ地震や首都直下地震の被害想定は、あまりに巨大で防ぐというよりは減らす、あるいは備えるしかない。地震の活動期に入った日本においては仕方のないことで“備災・減災”の時代と私が言っているゆえんです。

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