JR6社が一致団結、「日本周遊列車」という奇跡

民営化直後にオリエント急行を招聘していた

そして1988年9月7日、東京行きの「オリエント急行」はフランス国鉄のSLに牽引され、パリ・リヨン駅を発車した。東ドイツ(当時)、ポーランド、ソ連(当時)、中国では、各国のSLが先頭に立った。同じ頃、日本でも国内走行に向けたSLの復活作業が急ピッチで進められていた。

樽前山をバックに室蘭本線沿いの競走馬の生産牧場・社台ファーム付近を走るオリエント急行(筆者撮影)

パリ─香港間1万4599kmを走破したオリエント急行は、9月26日に香港の九龍駅に到着。翌日から日本に向けて船積み作業が開始された。10月6日には山口県下松市の下松港に入港し、日立製作所笠戸工場で日本の線路に合わせた台車への交換など、国内運行に向けた準備を整えた。

同月16日には山陽本線の下松─新下関間で試運転が行われ、翌17日、ついに「青きプリマドンナ」と呼ばれるオリエント急行が、初めて日本国内の線路上を、旅人を乗せて走り出した。車内ではヨーロッパとまったく同じサービスを提供しながら山陽本線・東海道本線を走破し、翌朝に東京へ。こうしてパリ─東京間1万5494kmの旅は幕を閉じた。この列車は、ギネスブックの「世界最長距離列車記録」の認定を受けている。

東京に到着したオリエント急行は招待客を乗せての山手線一周走行試乗会などを終え、品川駅で一般公開された。詰めかけた見物客にはあこがれの豪華列車を見て感激する女性も多く、遠くヨーロッパの鉄道に思いを馳せていた。

各社が会社の垣根を越えて協力

奇跡の来日を果たしたオリエント急行はその後、国内各地を走行し、北海道から東北、関西、瀬戸大橋を渡り四国へ、さらに関門海峡を渡り九州へと全国の線路を駆け巡った。行く先々の駅では車両が公開され、すっかり人気者になった長身の名物車掌、ダニエル・グッフェラーさんも記念写真に引っ張りだこだった。二度目に東海道本線を走った際、私は富士山を背景にオリエント急行が走る奇跡の一瞬を撮影した。

北海道に上陸したオリエント急行。「北斗星」用ディーゼル機関車重連に牽引され、秋の噴火湾沿いを走る(筆者撮影)

そして国内ツアーも大詰めを迎えた12月23日。この運転に間に合わせるべく復活したD51形蒸気機関車498号機がオリエント急行の先頭に連結され、汽笛一声、暮れなずむ上野駅を発車していった。

鉄道関係者は今も「奇跡の走行で夢のようだった……」と語る。技術的難関の克服ももちろんだが、何よりもこの時代はJR誕生の直後だけあり、これまでになかったことを成し遂げようという、各社の垣根を越えた協力態勢が功を奏したと言っていいだろう。そして、来日したオリエント急行は、「トワイライトエクスプレス」など日本の豪華列車の登場にも大きな影響を与えたのである。

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