元プロボクサー「余命1年宣告」で見た地獄

なぜ2人の医師は見過ごしたのか

竹原慎二(たけはら しんじ)/1972年生まれ。広島県から16歳で上京、1989年プロデビュー。1995年日本人初のWBA世界ミドル級チャンピオン。翌1996年初防衛戦で敗退、網膜剥離で引退。プロ通算25戦24勝1敗。2002年7月T&H竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開業。(撮影:今井康一)

──2014年2~3月はまさにジェットコースター級の日々でした。

突然膀胱がん宣告を受け、以降、浸潤してない・いやしていた、セカンドオピニオン、サードオピニオン、膀胱温存できないか・いや全摘しかない、余命1年宣告、ステージ4・5年生存率25%を告げられ、東大病院でのフォースオピニオン、リンパ節転移発覚、B先生の病院入院前日に東大病院へ変更等々、日々事態が二転三転しましたね。この2カ月で何度落ち込み、泣いたことか。B先生には「本当にこの人に託していいのか。でももう時間がない、任せるしかない」と入院予約したわけです。

そこへジムを共同運営する畑山(隆則)から「そんなやぶ医者やめろよ」と連絡があって、それをきっかけに東大病院へ行く段取りが付いた。それまでは免疫療法にしろ抗がん剤にしろ、何かにつけ医者はエビデンスがどうのこうのと上からガツンと言ってきた。ところが東大病院では同じ目線の高さで話してくれた。抗がん剤や尿路変更などの質問に懇切丁寧に答えてくれ、「この病院で治療を受けたい」と思いました。

もうやるしかない、ってだけだった

──抗がん剤の副作用や手術後の痛みと闘われましたが、がん宣告以降、最もつらかったことは?

治療に入る前までがいちばんつらかった。抗がん剤が始まったときにホッとしたんです、やっと治療に入れると。あまりに紆余曲折すぎる過程、かかりつけ医だったA先生の横やり、そのときの精神状態がいちばんキツかった。こんなデカい図体して何度も泣いた。免疫療法をはじめ女房が一生懸命情報を集め、これはというものを勧め、力になってくれた。子供も2人いる。もうやるしかない、ってだけでしたね。

──ボクシングの試合前は常に恐怖心との闘いだったそうですが、2014年6月の手術前も同じでした?

東大病院に手術入院するに際し「いよいよ決戦、絶対に勝つぞ」と思いました。でも違うのは、ボクシングは自分の力。手術は僕からすれば他力本願。どっちが緊張するかと問われたら、そんなのボクシングに決まってるよと。手術は任せるしかないから。下手すれば手術中に死ぬ可能性もあるし、信じて任せるしか。でも、何としても勝たないと、と思いました。

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