一流の経営者が常に「即断即行」をできるワケ ゆっくり考えている経営者に勝機はない

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これには驚き、「それでは稟議書が回され最終決済が下りるまでに、1年以上かかることもあるということですか」と尋ねると、「それは当然でしょう」と事もなげのひと言。確かに、そのように時間をかけなければならない事案もあるとは思いますが、「50以上の印鑑の押された稟議書が当たり前」という感覚は異常といえます。こうしたゆっくり経営が、日本の大企業がのたうち回る結果になった原因の1つなのではないかと思います。これでは世界での競争はできません。事実、少なくない大企業が泡沫のごとく消えていきました。

もっとも、昔から「兵は神速を尊ぶ」という言葉があります。一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨(きすう)がかかっていることは、今も昔も変わらないといえるかもしれません。特に戦国時代は即断即行が戦の勝敗を決しました。秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いのときの話ですが、柴田側の大将である佐久間盛政は秀吉が大垣に出兵している留守を突いて、秀吉側の砦を奇襲してこれを陥れ、非常な戦果を挙げます。

秀吉の勝利は即断即行がもたらした

盛政は大垣に出兵している秀吉に情報が入っても、数日は攻め返してこないだろうと勝利に酔いしれていました。ところが、その知らせに接した秀吉は即断即行、全軍を急がせ50キロメートル余りの道をわずか半日ほどで取って返します。

まさかと心を許していた盛政は、秀吉の帰陣のあまりの速さに驚きます。油断していた盛政軍は慌てふためき秀吉軍に撃破されてしまいました。それだけでなく、秀吉軍は勢いに乗って一気に柴田勝家の本陣をも攻め落とし、決定的な勝利を収めました。

この話は、よく油断大敵の話として例えられます。しかし、私は秀吉の即断即行の例として話をしています。これに限らず、およそ秀吉の勝利は即断即行にあったと言っても過言ではないと思います。明智光秀を倒して主君信長の仇を討った山崎の戦いでも秀吉の即断即行で勝利を収めました。

本能寺の変が6月2日で、山崎の戦いは6月13日。その間、わずか11日。しかもそのとき、秀吉は強敵毛利軍の備中高松城の清水宗治を攻めている最中でした。黒田官兵衛の進言による水攻めにして対峙していましたが、直ちに講和。新幹線が走りインターネットの時代の今日ならともかく、すべて徒歩の時代に200キロメートルの距離(=東京から静岡県藤枝市までの距離)を日本史上屈指の大強行軍で取って返しました。言うところの「中国大返し」。甲冑(かっちゅう)の重さを考えれば、これは大変な速さだったといえます。

事実、その速さに光秀は仰天。態勢を整える前に敗れてしまいます。またその速さを信長の家臣や盟友徳川家康に至るまで、誰1人予想することができなかったといわれています。こうした予測を超えるような機敏さ、言い換えれば、即断即行が秀吉をして数々の大事な合戦に勝利を収め、天下を取らしめた要因の1つだと思います。

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