日本初の商業ゲイ雑誌、あの「薔薇族」の功罪 「LGBTブーム」の今、元編集長を直撃

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「『薔薇族』は僕がホモじゃないから続けられたんだよ。ホモの人は自分の気にいらない人は喧嘩してみんな追い出しちゃうんだから」

(写真)宇田川しい

このセリフは筆者の20年前のインタビューの冒頭にも出てくる。『薔薇族』は、『くそみそテクニック』などの掲載作品が、後にネット上でカルト的人気を得た漫画家、ヤマジュンこと山川純一氏には原稿料を払っていたようだ。しかし、その背後にも生々しい逸話があった。伊藤さんは当時を振り返る。

「山川くんの作品は、僕は良いと思って載せたんだけど、編集の藤田くんは嫌っていた。彼は短髪の男らしい男が好きだから、山川くんの描く長髪で面長の男は好みじゃない。しばらくは僕が強く言って載せてたけど、結局、藤田くんの反対で載せなくなったんだ」

「山川くんはうち以外の収入がなかったから可哀想で、掲載がなくても持ち込みがあるとお金を渡してたんだけど、そのうち本人が気まずくなったみたいで顔を出さなくなっちゃった」

『薔薇族』からいびり出された才能たち

編集の藤田竜氏は、『薔薇族』の初期には自分で表紙イラストを描くほか、原稿も書き、編集もこなしたマルチアーティスト。前出の間宮浩氏や後に『さぶ』の表紙を描く三島剛氏、独立してゲイ雑誌『アドン』を創刊する南定四郎氏とも対立したという。

南氏は日本のゲイ・アクティビズム(社会的・政治的変化のために行動する主義)にある様々な源流の一つとされる人物であり、その彼が『薔薇族』を追われるように辞めたというのは何か象徴的にも思える。

「南くんが『アドン』を創刊するときは戦々恐々としてね。間宮くんと一緒に南くんの事務所のゴミ箱を漁って校正紙なんかを盗み見たんだよ。でも、見てみて2人で、なんだ大したことないやって胸をなでおろした」

以前、ハフポストでもインタビューした造形作家で編集者の大塚隆史氏も、短期間『薔薇族』編集部にいたようだが、「やめた理由は定かではない」と伊藤さんは言う。

「とにかく藤田くんは気にいらない人をどんどんやめさせちゃうんだよ。才能は並外れていたけど、人間的には難しい人だったね」

「藤田くんとは長い付き合いだった。いろいろあった中で最後には分かり合えた気がする。藤田くんは“ノンケの伊藤さんだから『薔薇族』がうまくいった”って言ってくれたからね」

「編集長がノンケだから成功した」。これも『薔薇族』の“正史”でしばしば語られる言葉だ。一方で、当事者の意識とのズレも批判の的になった。

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