マイケル・ルイスがPost-Truthに斬り込んだ 行動経済学を生んだ2人の天才の物語

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ミソは、人間の思考がいかに非合理に弱いか、に尽きる。AとBという事象が偶然続けて起きただけでも、人はそこに因果関係があると信じてしまう。デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』がつとに指摘した観念連合による錯誤だが、第六感や直感は飛躍と非合理な即席の「ファスト」思考(システム1)で成立している。これを記憶でチェックするのが合理的な熟考型の「スロー」思考(システム2)で、この2つの葛藤で思考の非合理を見事に解剖してみせたのが、カーネマン自身が一般読者向けに書いた『ファスト&スロー』である。

錯覚のメカニズムを巧みに取り込む悪知恵が生まれた

これは邦訳されて日本でもベストセラーになった。「朝三暮四」のような笑い話のトリヴィアに事欠かず、右脳左脳論に似て訳知り顔をするネタ元集になっている。だが、明らかにそれとは別の用途に目覚めた人たちがいて、錯覚のメカニズムを巧みに取り込み、フェイスブックという分散型だが閉鎖系のネットワークで散布し、標的を正確に絞り込み極めて効率の高いターゲットマーケティングを実現する”悪知恵”が生まれた。

それがPost-Truthの洪水である。解毒はどうすればいいのか。うそを見破る既成メディアの「ファクト・チェック」では歯が立たないとすれば、本書でPost-Truthの原点にさかのぼるしかない。カーネマンは幼いころ、戦争という非合理のただなかにいて、ナチスのユダヤ人狩りを生き延びた。強制収容所送りはどうにか免れたが、占領中のフランスを転々と隠れ住み、鶏舎にも身を潜めた。戦後、イスラエルに移住し「神はいない」という結論に達した。

大戦は終わっても、イスラエルはアラブ人との戦場になっていた。カーネマンは兵役で心理学部隊に配備され、リーダー選びの性格診断テストを作成しながら直感は間違えることに気づく。彼より3歳年少のトヴェルスキーはイスラエル生まれの無神論者だが、危険な落下傘部隊を志願し、1967年の第3次中東戦争にも従軍するなど、こちらも一瞬の判断ミスで殲滅されかねない命懸けの戦争がその人生に影を落としている。

2人は対照的だった。内気なカーネマンは何でも記憶するアイデアマンでありながら自信が持てない。外向的なトヴェルスキーは数理的な頭脳を持つ自信家だった。1969年にヘブライ大学のカーネマンのゼミで客員講義をした際、統計学の「ベイズの定理」による説明を酷評されたのを機に、2人は組むようになった。「AがBより好まれBがCより好まれるなら、AはCより好まれる」という推移律が成り立たない例から、経済学の合理的意思決定論を覆す共同作業が始まる。この凸凹コンビの知的冒険が本書の白眉だろう。

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