「人喰い」に魅せられた男の七転び八起き人生 神保町の「異色」古書店はこうして生まれた

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会社に入ると、とみさわさんが働きやすいよう、社内に出版部を作ってくれた。とみさわさんは編集長的立ち位置で、他社のゲームの攻略本などを制作した。

会社員として働き、4年が過ぎた。田尻氏は、新しいゲームを作り始めた。社会現象を巻き起こし、現在でも新作が作られている「ポケットモンスター 赤・緑」の開発である。とみさわさんは、ゲームデザインやメインシナリオライターとしてかかわっていたが、ポケモンが発売される1年前に、独立させてほしいと言って、会社を辞めた。

そして、2度目のフリーランスになった。

「小説を書いてみたい!!という野望があって辞めたんです。会社勤めをしていると、とても小説を書く時間は作れませんから。ただ会社を辞めたタイミングで、アスキーから連絡があり、『ゲームを作らないか?』と提案されました」

小説を書きたくて会社勤めを辞めたが…

小説家になると言って会社を辞めたのに、すぐに他社でゲームを作っては、仁義が立たないと思い、田尻氏に正直にこんな話が来ているんだけどどう思う?と相談したところ、

「チャンスだから絶対やるべきですよ!!」

と応援してくれた。寛容さに感謝しつつ、アスキーの話を受けて、「ガンプル」というゲームを開発した。しかし、残念ながらとみさわさんの思ったとおりの形のゲームにはならなかった。販売本数も伸びなかった。それから、しばらくフリーのゲームデザイナー、フリーライターとして過ごした。その間に、とみさわさんは結婚をして、子どもも授かった。

時代は変わり、だんだんゲームの仕事も減ってきた。そこで、再びゲームフリークに戻り、契約社員として働くことになった。

「再び迎え入れた会社には、感謝しかありませんでした。それから、ゲームフリークで10年ほど働いたんですが、ゲームデザイナーとしてはどんどん厳しくなってきました。ゲーム自体、ファミコン時代とはまるで違ったものになりましたし、働いている若い社員は、生まれたときからコンピュータがある人たちです。パソコンをワープロとしてしか使えない僕の居場所は、なくなっていきました」

2008年、ゲームフリークから2度目の退社をした。3度目のフリーランスである。

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