かつて民主主義は資本主義と蜜月関係だった なぜ民主的でないルールが広がったのか

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人々はもはや労働者ではなく、市民となり、市民として草の根的な社会運動を展開するようになる。1968年のフランス「五月革命」は、まさにそうした変化を象徴した動きであったのかもしれない。人々は、階級闘争ではなく、自由を求め、解放という言葉が時代の言葉となっていった。女性解放、黒人解放、自由恋愛などなど、自由を求める若者の運動は続いた。

しかし不思議なことに、過激化していくこうした運動も、意外なほど時の政治権力に容認されていた。社会主義革命や共産主義革命という政府を転覆させるような言説ではなく、人間の自由を求める運動は、体制にとってむしろ好都合に思えたからだ。自由を求める動きは、人々を、市民社会を構成する独立した人格へと高めることで、人々をばらばらにし、どの集団にも属さない、自由であるが、弱い市民が形成されていった。いわば自由と解放は、資本主義社会の過剰生産のはけ口として利用されたのだ。「自分なりの表現」という言葉が人々の消費を延ばし、それが経済成長を加速することで、むしろ政治権力と資本主義は、相携えてこの動きを下支えしたともいえる。

しかし、蜜月は長くは続かない。1970年代に先進国を襲ったスタグフレーションは、経済成長を一気に止めた。目新しい電気製品などもなくなり、自動車も一般家庭に普及していくと、経済を成長させる要因がなくなり始める。おまけに自由と解放が、人々の権利意識を高めて、賃金上昇などの激しい要求を生み出す。さらにそこに火をつけたのが、1973年の石油ショックであった。大量消費社会の終焉と賃金の上昇は、資本主義の利潤率を引き下げ、急激な経済停滞を生み出す。そこで登場したのが新自由主義である。

「秩序づけられた」自由主義とは何か

シュトレックは興味ある事実を提示する。それは、1929年の大恐慌後のドイツにおける、「オルドヌンク・リベラリズム」(秩序づけられた自由主義)の登場である。第一次世界大戦の賠償金支払いで、疲弊したドイツを襲った大恐慌は、ドイツ経済を破壊した。そこで起こったのが、この自由主義だという。

この自由主義には秩序という言葉がつけられている。秩序という意味は、なるほど行き過ぎのない秩序をもった自由主義とも読めるが、実際の意味はこうだ。一般に自由主義は規制を緩和し、国家権力や法の介入を少なくするように見える。しかし、実際は自由であればあるほど、国家や法による規制は増える。要するに統制された自由ということだ。自由と統制との関係は、スポーツをみるとわかる。公正厳格なスポーツをつくろうと思うと、ルールはどんどん増えていくからだ。

「オルドヌンク・リベラリズム」を通じて、ドイツはむしろ官僚や経済界のエリートにより、統制されていったというのである。自由から統制経済が生まれるという皮肉は、1980年代の「ネオ・リベラリズム」の登場にも言える。

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