江戸城「大奥」は、本当にハーレムだったのか 「男子禁制、女性1000人」知られざる実態は?

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

将軍以外「男子禁制」、まさにハーレム?

Q1. そもそも「大奥」って何ですか?

「江戸城内で、将軍の妻子や母親などが暮らすエリア」です。

一般的な武家住宅は、室町時代頃から、主人が対外的な実務に使う「表(おもて)」と、家族と日常を送るための「奥(おく)」とで分けられていました。

江戸城も同じように御殿が区画され、幕府の実務が行われる「表」、将軍個人の執務と居住の場を兼ねた「中奥(なかおく)」、将軍の正妻である「御台所」が取り仕切る「大奥」に分かれていました。

Q2. 「大奥」はどこにあったのですか?

江戸城の中心である「本丸(現在の皇居東御苑)の北側」にありました。

本丸御殿の敷地は約1万1000坪(約3万6000平方メートル)で、そのうち「表」と「中奥」が約4700坪(約1万5000平方メートル)なのに対して、「大奥」は約6300坪(約2万1000平方メートル)と、本丸の中で「大奥」が最大の割合を占めていました。

Q3. なぜ「大奥」だけそんなに広いのですか?

大勢の人が住んでいたからです。

おもに日中に実務や行事が行われる「表」や、将軍個人が執務や居住に使う「中奥」に対し、「大奥」は「御台所」をはじめ将軍の生母や子ども、さらには側室の居室、「長局向(ながつぼねむき)」と呼ばれる2階建ての長屋などが何棟も立ち並び、部屋数は軽く100を超えていたといわれています。

Q4.「大奥」には、何人の女性が暮らしていたのですか?

「幕末の最も多いときで1000人ほどいた」といわれています。

それ以前の時期は、引退した前将軍や「御台所」に仕えた女性たちも含め、幕府から正規に給与を得ていたのは300人ほどです。

これに加えて、彼女らが自らのサポート要員として雇い入れた私設の女性たちがさらに約300~400人おり、全部合わせると600~700人が大奥で生活していたようです。

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