「一汁一菜本」の礼賛に何となく感じる違和感 確かに時代にマッチした提案ではあるが

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土井氏の父は昭和を代表する人気料理研究家の一人で、日本料理のレシピを中心に紹介し、日本の食文化の魅力を伝え続けた土井勝氏だ。善晴氏は、父が持っていたテレビ朝日の料理番組「おかずのクッキング」を継承し、父と同じくNHK「きょうの料理」にレギュラー出演。若い頃は日本料理店で修業し、フランスやスイスでも研鑽を積んだ。プロの世界を知っている人が、プロの料理と比較し家庭料理を語る言葉には説得力がある。

しかし、同書が手放しでたたえられるにはやや違和感がある。たとえば、「食生活が原因の健康問題は食の洋風化が始まってから」と指摘するなど、後半で若干の事実誤認を含めた日本文化礼賛になっている点は残念なところだ。ミネストローネなどのスープは、一汁一菜の食事に含まれないのだろうか、という素朴な疑問が生まれる。

勝氏が自国の文化の魅力を訴えた背景には、第2次世界大戦がある。1921年に生まれ、料理学校に通った勝氏は「料理で国にご奉公したい」と海軍に入るが、2度も出撃を免れる。1回目は玉砕した南方出撃。二回目は戦艦大和。その体験により、戦死した仲間たちの供養も含めて、料理で国の再建に貢献したいという決心を固くした。

和食は世界中から影響を受けてきた

その父の背中を見て育った善晴氏が、世界の影響を受ける今の家庭料理に対し、若干の焦りを持つのは不自然ではない。何しろ食の多様化は止まらない。コメも味噌も醤油も消費量が減り続け、大根や白菜、サトイモなどに替わってレタスやトマトが人気になり、魚より肉が選ばれ、牛乳などの乳製品が定着した。2013年に和食はユネスコの無形文化遺産に登録されたが、その申請は和食文化の衰退を危惧する京都の料理人らが中心になって行われた。

しかし、世界との交流が活発になり、外国料理と触れる機会も増えているのに、日本の食卓だけが純粋性を保つことは難しい。そもそも、日本の食文化は遠い昔から外国の影響を受けて変わり続けてきた。

揚げ物の文化は奈良時代に中国大陸から入ってきた。精進料理とともに醤油や味噌の元になった径山寺味噌、豆腐などが入ってきたのは、平安末期から鎌倉時代にかけて。戦国時代から江戸時代にかけては、南蛮貿易でカボチャやトウガラシ、サツマイモなどが入る。ポルトガルの揚げ物が天ぷらになり、卵を食べる文化が定着する。

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