ドムドムの落日とマクドナルドとの深い因縁 ダイエー創業者が見た夢はここに潰えた

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「そして、米国マクドナルドと藤田商店は、これら技術ないしはサービス提供の対価として、日本マクドナルドの売上高のそれぞれ1%相当額のフィーを受け取る……」(『藤田商店商法』――2001年7月、藤田商店発行。非売品)という契約であった。

「ここに出て来る1%相当額のフィー」というのが、ロイヤルティに当てはまる。クロックは藤田とのエリアフランチャイズ契約の交渉で当初、「米国マクドナルドのロイヤルティ5%」を主張した。マクドナルドと同時期に日本に上陸したケンタッキー・フライド・チキン(KFC)もロイヤルティは5%だったといわれる。

藤田は「ロイヤルティ5%は高すぎる。そんなに払ったらマクドナルドの経営が成り立たない」と、主張。ロイヤルティの引き下げ交渉を行った。その結果、藤田とクロックはロイヤルティを売上高の2%とし、その2%を前述したように藤田商店と米国マクドナルドとで1%対1%の折半で受け取ることにした。

FC契約の常識を無視した“異例の契約”

これはFC契約の常識を無視した“異例の契約”であった。クロックと藤田の堅い信頼関係があったからこそできた契約であった。ちなみに契約期間は当初1971年から1991年までの20年であったが、後に2001年までの30年に延長された。

たったの1%でも売上高が1000億円であれば、10億円のロイヤルティが発生する。クロックはなぜ日本マクドナルドの藤田をそこまで優遇したのか。それについては諸説があるが、クロックは日本市場でマクドナルドのハンバーガーは広まらないと見ていた節がある。

日本国民は歴史的にコメ・みそ汁、魚や刺身、漬け物、緑茶など伝統的な和食文化が長く、パンや牛肉、コーラ、コーヒーといった洋食文化に慣れていなかったからだ。クロックは場合によっては日本マクドナルドが失敗すると見て、藤田の言いたい放題の契約条件をのみ、ダイエーの中内との契約は失敗した時の訴訟沙汰も大がかりになることが予想され、拒んだのではないか。

余談だが、藤田は日本マクドナルドを大成功させた。クロックが藤田をあまりにも優遇したことが、1984年にクロックが亡くなった後にクローズアップされ、米国マクドナルドの経営陣と藤田との不仲に発展していった。

中内はドムドムではとてもマクドナルドに対抗できないと思い、次の対策を取った。それが1970年代後半に米国でマックキラーと呼ばれて急成長していた「ウェンディーズ」の導入であった。

ダイエーは「ドムドムハンバーガー」を運営する「ドムドム」を「ウェンコ・ジャパン」と社名変更し、ウェンディーズの受け皿とした。社内にはドムドム事業部とウェンディーズ事業部ができた。

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