アウシュヴィッツで考える、麻生発言(中) 井の中の蛙が鳴く、”反日““自虐史観”の本質とは?

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 グローバル化の進展により、国の枠を超えて活躍する「グローバルエリート」が生まれている。しかし、そのリアルな姿はなかなか伝わってこない。グローバルエリートたちは何を考え、何に悩み、どんな日々を送っているのか? 日本生まれの韓国人であり、国際金融マンとして、シンガポール、香港、欧州を舞台に活動する著者が、経済、ビジネス、キャリア、そして、身近な生活ネタを縦横無尽につづる。
アウシュヴィッツ強制収容所の石碑。ここでの展示物は、被害者の絶望の叫びと、人間の残虐性への警告だと刻まれている

さて、前回コラムでは私が訪問したアウシュヴィッツ強制収容所で学んだことを読者の皆様にお伝えしてきたが、今回はそれを受けて、歴史の教訓は何だったのか、それをどう伝えていくべきなのか、を読者の皆様と一緒に考えたい。

先日、麻生氏の「ナチスの手口を学んだら」発言が問題になったが、ナチスという言葉を使うときは前回コラムで書かせていただいたような事の深刻性、重大性を踏まえてご発言願いたいものである。

そこで今回のコラムでは、安倍政権の閣僚や麻生氏擁護論を張る“評論家たち”が国際的視点から見てどれだけかけ離れているのか、論じさせていただきたい。

ドイツの歴史教育は、“自虐的”“反独的”か?

私がアウシュヴィッツでまず驚いたのは、世界中から観光客が押し寄せ、ナチスによる犯罪行為が毎日世界中から訪れる人々に詳しく解説されている点だ。またドイツ国内の大きな戦争博物館でナチスの犯罪を赤裸々に展示し、今でもドイツ人はこの過去に関し強い贖罪の意識を抱いているのがわかる。

ドイツの中にも「このような歴史教育は自虐的だ」などと言う人も一部にはいるが、そんな声が大勢を占めることは決してなく、ナチスの行為を正当化する試みはヨーロッパでは犯罪である。そして徹底的な反省の上に真の和解に成功したドイツはいまやEUの中心的指導国家であり、今のドイツを過去の犯罪で糾弾する国家はいない。

自国の過去の犯罪行為と失敗を徹底的に学ぶのは、決して“自虐的”ではなく、犠牲者と将来世代への義務であり、責任であり、それを通じてドイツは大きな尊敬と信頼を獲得した。

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