南スーダンは自衛隊撤収で「終わり」ではない 国際社会を悩ます「世界で一番若い国」の破綻

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南スーダン北部の上ナイル州都マラカルの市場。その後、街は徹底的に破壊された(2012年5月、筆者撮影)

実は、南スーダンで戦闘が始まった2013年12月のことを、筆者は克明に覚えている。この頃、日本による南スーダンの紛争復興・平和構築支援の現地取材に通っており、同国北部の上ナイル州都マラカルに滞在していたためだ。

首都ジュバで2013年12月15日深夜に起きたサルバ・キール・マヤルディト大統領派とリヤク・マシャール元副大統領派の戦闘が拡大し、国連機関や外交団など在留外国人が緊急退避する中、マラカルで4日間身動きが取れなかった。その後、20日になって、国際協力機構(JICA)関係者とともにジュバ国際空港にたどり着いた。

南スーダンには援助関係者など120人余りの日本人がおり、日本大使館が退避用のチャーター機を用意したが、筆者はそれには乗れず、他の外国人と一緒にドイツ空軍の輸送機で隣国ウガンダに脱出した。銃撃戦をかいくぐるように逃げてきたNGO駐在員もいたが、赤松武大使(当時)以下わずか数人の大使館が奮闘し、日本人は全員無事に出国できた。

国造りが破綻したきっかけ

まもなくマラカルでも激しい戦闘が始まった。何度か取材に訪れた病院で多数の入院患者が虐殺され、ナイル川の対岸に逃れようとする住民を乗せた船が沈没して子供ら200人以上が溺死(できし)する大惨事も発生した。国連施設に逃げ込んだ現地関係者からは「街中が略奪され、赤十字職員が路上に転がった死体を回収している」という生々しいメールが届いた。

先述の120人余りという日本人は民間人。ジュバ空港に隣接する国連コンパウンドには、自衛隊PKO部隊の約400人がいた。タイミング悪く第4次隊から第5次隊に交代する最中で、避難民がコンパウンドに殺到する緊迫した状況に直面した部隊は、宿営地にこもって厳戒態勢を敷いていた。

現場の感覚としては「民間人救出のために自衛隊機を飛ばせばいいのに」「民間人より自衛隊のほうが安全なのではないか」と感じたものだ。帰国後に確認したところでは、「自衛隊法ないしPKO協力法を適用して邦人保護・救出を行うことは法的に可能」(防衛省)だったが、このときは東京から現地部隊への指示や要請はなかった。ちなみに、2016年7月の戦闘再燃の際には自衛隊機が急派され、大使館員ら数人をジブチに運ぶことで“実績”をつくっている。

当時のエピソードの説明が長くなったが、今振り返ると、2013年末に起きたこの武力衝突こそ、新国家建設が完全に破綻する“終わりの始まり”だったといえる。そんな南スーダンにおいて、自衛隊PKOは2012年1月から活動してきた。この5年余りで何をしてきたのだろうか。

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