武田鉄矢「読書に実用性だけ求めても空しい」 世の中は確信に至る材料を集めすぎている

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23年続けているラジオ番組「今朝の三枚おろし」も私が「本」好きでなかったら、『竜馬がゆく』を読んで読書好きになっていなかったら存在しない。

視聴者の皆さんに苦労を想像させたら逆に俺の力不足になっちゃうんだけど、結構頑張ってます。週1冊を紹介するのが基本だし、ざっと読んだだけではとても話が持たないんです。

それでも、もともと私はフリートークが得意だったので、番組が始まった頃はフリートークでやっていました。ところがある日、ご老人からご丁寧なお手紙をいただいたんです。そこには「うそばっかり言うな」と書いてあったので、ものすごくショックを受けました。忘れもしません。「バルチック艦隊が何百、何千と来たわけですよ」と話したら、何百は認めるけど何千はうそだと諫(いさ)められたのです。

講談調の面白い表現より、正確な端数まで言ったほうが想像力が膨らむ方々がいるんだと気づいた。そのときから「少しは正確にものをしゃべらなくてはいけないな」と私は思い始めた。

それから、1冊の本を読むときは昔はスケッチブック、今は大学ノートを横に置き、ポイントになることは抜き書きして放送に臨んでいます。

それでもおしかりのお手紙はどんどん届くんです。抜き書きした言葉と自分の考えをメモしたことがごっちゃになったり、「ゼロ戦が~」としゃべったら「ゼロ戦は戦後の表現。当時は『れいせん』と呼んでいたはずです」とチェックが入ったり。

「~という説もある」という言い回しがメディアで暴れまわっていますよね。ところが「~という説もある」と挟み込むと、話って途端にインパクトを失うんです。伝えたいいちばん大事なエッセンスが揮発してしまう。

きちんとした教科書やセミナーなんかより新橋のガード下や場末のスナックでくだを巻いている上司や近所のおじさんの話のほうがためになることもいっぱいあると思うんです。読書と一緒です。

「いい加減なこと言って、うるさいな」と思ってるのと、「いい加減だけど、真実でもあるよな」と受け取るのとでは、後々の人生の豊かさに差が出てくると思うんです。本に書いていないことまで読んでしまうことがある。

極論すれば、直観がいちばん強い

とある武道家の人が「証拠があって確信に至るという確信は頼りない」と言っていました。まず確信があって、そのあとに証拠が集まってくるのが最高に強い確信なんだということなんです。でもこの頃の世の中、確信に至るための材料を集める、そして集めすぎてる。

テレビや映画だってそう。「売れてるあの俳優を使ったほうがいい」とか、「脇役には人気があるあのグループから1人」とかね。でも、それをやっちゃうと世の中に確信なんてなくなっちゃう。

むしろ、この役には後から思うとこの人しか考えられないって配役の映画が大ヒットするよね、『フーテンの寅』とか『仁義なき戦い』とか。

極論すれば、直感で「これは正しい」と思い込めれば、それこそがいちばん強い確信なんじゃないか。

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