「斉藤仁」が命を削り家族に遺した柔道家の魂 妻は亡き夫への誓いを胸に生きていく

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その後、夫婦には何よりの楽しみが待っていた。それは、2人の息子たちの存在だ。代表監督を務めていた当時は緊張した日々を送っていた仁さんにとって、唯一の安らぎだったのが幼い息子たちと過ごす時間。その息子たちが、偉大な父の背中を追い、柔道の才能を開花させていったのだ。

特に次男の立(たつる)くんは、小学6年生ながら身長174センチメートル、体重116キロ。父譲りの体格に恵まれ、小学生の全国大会で優勝したほどの選手だ。そんな立くんは、2020年に開催される東京五輪で優勝するという夢を持つ。仁さんも期待を寄せていた。

しかし、次男の全国制覇から7カ月後の2013年12月、思いもよらない出来事が家族を襲う。仁さんが「胆管がん」を患っていることが発覚したのだ。すでに末期で手術を施すことができないほどの状態だった。

日に日に痩せ細る、仁さんの体。110㎏あった体重は80㎏まで激減した。それでも仁さんは、息子たちに柔道を教え続けた。時には道場で、時には玄関先で。仁さんによる息子たちへの柔道の指導は、いつでも、どこでも、行われた。残された時間を1分1秒も無駄にしたくない。残り少ない命を振り絞り、仁さんは息子たちと向き合った。

そんな様子を映像に残すべく、三恵子さんは携帯電話で撮り続けた。

「ひょっとしたら最後かもしれないって、一瞬、一瞬がすごく大事だったので、何とかして残したいなという気持ちで撮っていました」(三恵子さん)

仁さんの容態が悪化したのは、がん発覚から1年後。仁さんの意識が薄れゆく中、三恵子さんは仁さんに強く誓った。

「子供たちは、私が立派な柔道家に育てるから…心配しなくていいからね」(三恵子さん)

2015年1月20日。柔道に全てを捧げた斉藤仁さんは、静かに息を引き取った。この時、三恵子さんは50歳。結婚してから18年目のことだった。

壁にぶち当たる息子

息子たちを、立派な柔道家に育て上げると誓った三恵子さん。しかし、試練はすぐにやってきた。仁さんが亡くなってから半年後、かつて全国優勝を成し遂げた次男・立くんが思うような結果を出せなくなってしまったのだ。

以前は、当たり前に柔道を教えてくれた父だが、その存在を失った時、ぶつかった壁にどう立ち向かえばいいのか、立くんには分からなくなっていた。

「亡くなる前は、普通のお父さんだと思っていました。亡くなってから、凄い人だなって思って。もっと話しておけば良かったとか、もっと柔道の話を聞けばよかったなって思います……」(立くん)

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