競輪事故で地獄を見た男が編み出した「逸品」 14年先まで予約が埋まるパン・ケーキの正体

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多以良氏:競輪も今のパン・ケーキ作りも、その原点は幼いころにありました。実は、焼き菓子作りの方が競輪よりも古く、お菓子作りの雑誌や、TV番組を母と一緒に見ていたところから興味を持つようになりました。そのうち、見よう見まねで母に手伝ってもらいながら材料をこねくり回すようになり、小学校にあがったころにはもう、自分のおやつは自分でつくっていました(笑)。

競輪は父の影響で、僕の家はどちらかというと裕福な方ではなく、そのためか、頑張れば億単位のお金を稼ぐことができる競輪選手という職業に、父は人一倍強い憧れを抱いていたのかもしれません。はじめて競輪を目にしたのは小学3年生の時。父に連れて行ってもらった宇都宮競輪場の試合を見て、自分もどんどん興味を持つように。当時花形だった中野浩一選手に憧れ、小学生の卒業文集にはすでに、「将来は競輪選手になる」と書いていました。それと同時に、一軒家への憧れから「30歳までに煙突のある白い一軒家を建てて住む」と、自分の中で具体的な将来への目標も定めていましたね。

とはいえ、周りに競輪選手を目指す人もなく、そうした環境もありませんでしたから、20歳になるまでは独学でした。小学生の時は、当時流行っていたテレビアニメ番組の主人公を真似して、手首と足首に鉄アレイをつけて自転車を漕ぐことを「修行」と称してやっていました(笑)。

――憧れを、少しずつ形に。できることから。

多以良氏:成長するにつれ、具体的にやるべきことを逆算して考えられるようになりましたが、「目標を決めたら、まずは一歩を踏み出す」「できることからやってみる」という性格は、このころからだったように思います。高校生の間は、憧れの中野浩一選手を見習って、同じように陸上部に所属して身体作りから。卒業後は、日本競輪学校に入学するため、日中は練習、午後11時から午前7時までは清掃のアルバイトをしながら学費を稼いでいました。

6回目の挑戦でようやく拓けた競輪選手への道

多以良氏:ある程度貯金ができたところで、20歳からは藤沢市のプロコーチに師事し、練習チームに加わりました。午前中は100キロ走破、午後はグラウンドでの練習と、1日中自転車漬けの毎日。競輪選手への憧れは早い時期に持っていたものの、早い段階で競輪選手になるための訓練を受けていた周りの練習生との実力差は歴然で、最初は、練習に追いつくのがやっとで……。周りとのハンデにもがきながらも、それでもしがみつく思いで続けているうちに、タイムは徐々に伸びていきました。

ただ成績は上がったものの、その間の生活費を稼ぐために、練習後も午後6時から11時までアルバイトという生活は変わらず、また親にもいろいろな負担をかけていたので、「早く合格しなければ」という焦りも生まれていたんです。そのプレッシャーから、入学試験の本番では、いつもの力を発揮できず、受けては不合格の繰り返しでした。そのころは、不合格通知を手にするたびに、「(受験資格年齢まで)あと少ししかない」と、ますます焦っていたのを思い出します。

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