風化させてはならない野村證券の「功」と「罪」 バブル最前線を知る2人が語る現代への警鐘

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永野健二(ながの けんじ)/1949年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。証券部の記者、編集委員として、バブル経済やバブル期のさまざまな経済事件を取材する。その後、日経ビジネス、日経MJの各編集長、名古屋支社代表、大阪本社代表、BSジャパン社長などを歴任。最新刊『バブル 日本迷走の原点』(新潮社)がベストセラーに。共著に『会社は誰のものか』『株は死んだか』『宴の悪魔――証券スキャンダルの深層』『官僚――軋む巨大権力』(すべて日本経済新聞社)など(撮影:尾形文繁)

永野:知りたいのは「ノルマ証券」と呼ばれた営業の厳しさ。実際に吐いてしまうくらいのつらさをどう乗り切ったのか。

横尾:当時はお客様に損させないのは不可能でした。会社指定の銘柄しか扱えなかったので。考えたのは、1億や2億すっても屁でもない方だけを相手にしようと。金沢支店にいた3年半はほとんどそれに終始していました。

永野:客を儲けさせたことはない。

横尾:ないです。当時の証券会社には「いい営業」というのは考えられませんでした。入社して半年で4割が辞める時代でした。

永野:3年で半分辞めるというのが僕のイメージ。

横尾:1年で98人に減りました。69人辞めたと人事部に聞きました。次の年から方針が、「新人は育つものではなく、育てるもの」に変わった。私がインストラクターになったときから、殴ってはいけない、と徹底されました。われわれの同期が大量に辞めたおかげです(笑)。

複利計算ができない営業マンがほとんど

バブル:日本迷走の原点』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

永野:僕は東大の理1に行くつもりだったので、微分積分をやっていましたが、数学的素質は証券マンにも必要ですね。横尾さんももともと理系で数学的な基礎体力があった。

横尾:大学の途中で文系に変わりましたが、野村では理系だったのは僕ぐらいでした。恥ずかしい話ですが、野村證券には複利計算ができない人が多い。その中で、外債とか、デリバティブと言っても理解できないのです。先進国で日本だけが単利計算している、国民の知識が足りない証拠ですし、いまだに証券マンの何割かは複利計算の意味がわかっていない。僕はそれがわかるので優位性がありました。

永野:今と昔の野村は何が違うのでしょう。

横尾:いちばんに違うのは、自分で銘柄が選べるようになったこと。支店でも個人でも選べるようになりました。これでものすごく自由になった。そうでなければ、お客さんは全員損してしまいますから。運用会社が分離独立して運用するようになったので、投資信託も変わりましたね。

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