貴重映像!満鉄「あじあ号」の機関車が動いた 煙上げ「パシナ」が走る1984年の動画がここに

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復活を遂げた「パシナ」の走行シーン(筆者撮影)

そして1年後「走れるようになった」との一報を聞いて、翌1984年に再び蘇家屯機関区を訪れた。復元されたSL751は中国国鉄の塗装のまま、蒸気を吐いて走るところまで復元したということで、構内を数百メートル実際に走行した。

期待していた力行運転はなく、やっと動く程度のものだったが、それでも約40年の歳月を経て、戦後初めて旧満鉄の客車に日本人を乗せて走ったのだ。勢いよく煙突から煙を上げ、重い音の貫禄ある汽笛を鳴らし、2メートルの大動輪をきしませて走る姿に感動を覚えたものだった。しかし、SL751号ことパシナ形機関車はこの日一日限りで走ることはなく、その後再び消息が途絶えてしまった。

山田洋次監督思い出のパシナ

その後のパシナ形機関車を我々の前に映像で見せてくれたのは、山田洋次監督であった。監督がメガホンを取った、C61形蒸気機関車復活のドキュメンタリー「復活~山田洋次・SLを撮る~」の中に登場するパシナの映像である。

これは2010年、週刊東洋経済増刊「鉄道完全解明」において、筆者が山田洋次監督に当時撮影中の「C61復活ドキュメンタリー」についてインタビューした際、監督が旧満州育ちで父上が満鉄勤務だったということで筆者が撮影したパシナの写真をお見せしたところ興味を示され、ドキュメンタリーの中に急きょ、大連の機関区で眠っているパシナに会いに行くシーンが追加されたのだった。

監督が見たパシナは暗い機関区の中で朽ち果てる寸前の姿だった。感慨深く大連駅に佇む監督の背後から、ひときわ重厚な汽笛が泣き叫ぶように聞こえてくる。この汽笛の音こそ、筆者が1984年に撮影した走行シーンのビデオから挿入したパシナの汽笛だ。

南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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