古代ローマの栄枯盛衰から学ぶべき「教訓」 中間層が没落する国は衰退の道をたどる

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内乱の1世紀の間に、「すべての市民がローマに忠誠を尽くす」という理念は失われてしまいます。すでに中小農民は没落していたので、軍隊は無産市民を集めてつくる私兵の集団へと変質してしまっていました。有力な政治家たちは自らの軍隊を持って互いに争うようになっていったのです。マリウス、スッラ、ルキウス、コルネリウスなど私兵を抱えた将軍たちは、ローマ市内での内戦を繰り返し、軍人による独裁政治の下地をつくっていきました。

閥族派と平民派の争いに呼応するように、征服した各地でも奴隷の反乱が起こり、ついにはローマ本国でも「スパルタクスの反乱」と呼ばれる剣奴の大反乱が起こります。ローマでは見世物として猛獣と戦う剣奴という奴隷が養成されていましたが、剣奴養成所を脱走したスパルタクスのもとに多くの逃亡奴隷が加わり、12万人もの大勢力となり反乱を起こしたのです。ローマはこの反乱を鎮めるまで、2年もかかりました。

最終的に内乱の1世紀は、オクタヴィアヌスがアントニウス・クレオパトラの連合軍を破り、地中海世界を統一することで終わりを迎えました。オクタヴィアヌスは紀元前27年に元老院から「アウグストゥス」の称号を与えられ、ローマは共和政から帝政へと移行します。皇帝から皇帝へ支配権を移譲するという帝政のシステムは、「政治の指導者は自由な選挙によって選ばれるべきだ」とする共和政の考え方とは、まったく相容れない政体であります。それにもかかわらず、ローマの人々に帝政への移行が受け入れられたのは、富裕な支配者階級も、無産市民も貧民も、相次ぐ内乱を経験しすぎて「もう争いはたくさんだ」と考えるようになっていたからです。

格差拡大で軍事力、経済力とも弱体化

その後、2世紀にもわたって続いた「ローマの平和」は、逆説的ながらも内乱の1世紀に対する強い反動として実現した平和であったといえるでしょう。しかしながら、そのローマの平和を通して、ローマ帝国領内では絶望的なほど格差が拡大し、軍事力や経済力の弱体化に歯止めがかからなくなっていきます。中小農民の没落によって重装歩兵部隊は組織できなくなったため、帝国は兵力をしだいに傭兵に頼るようになっていきます。国家への忠誠を誇りに戦った重装歩兵と職業として戦う傭兵では、士気や戦力の差は歴然であり、国防力は弱体化の一途をたどっていったのです。そのうえで、無産市民の生活を保障するために税金が湯水のように使われたので、財政の悪化から経済力の衰退までもが始まっていたというわけです。

ヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがる大帝国を築いたローマでは、その繁栄の基盤となったのは、紛れもなく素朴で頑健で裕福な中小農民でした。ですから、ローマが国家として最も活力があった時期は、カルタゴと戦ったポエニ戦争の前半まで(とりわけ第2次ポエニ戦争に勝利するまで)といわれています。ローマ人はもともと中小農民を中心とする独立心旺盛な人々で、「自分たちの国は自分たちで守る」という心構えと連帯感を持っていました。そうした気質があってこそ、士気の高い強固な市民軍と「市民は法の前に平等の権利を持つ」という共和政を生む大きな要因となったのです。

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