ミクシィ再生の手綱握る、異色経歴の新社長 新世代リーダー 朝倉祐介 ミクシィ社長

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そこからは、大学受験資格をもらえる専門学校に3年間通った。「北大の獣医学部に行きたかったが、数学が苦手なのであきらめた。東大にどうしても入りたいわけではなかったが、もともと、勉強はそれなりに得意だった」とさらりと言う。

当時、大学入学直後は「焦燥感が強かった」という。9割方が現役で入学する東大の中で、朝倉氏は入学時点で20歳。実質2浪という立場だったことが、逆に行動を起こす際の原動力になった。

最も精を入れたのは課外活動だ。「京論壇」という東大と中国・北京大の学生によって結成された国際学生討論団体での活動や、政治家のかばん持ちまでこなした。起業も2回経験している。そのひとつが、のちにミクシィに買収されることになる、ネイキッドテクノロジーという会社だ。

マッキンゼーから再びベンチャー企業へ

大学卒業後、朝倉氏は自身が立ち上げたネイキッドから離れ、マッキンゼーに入社している。狙いは「一度、マネジメントの基礎を学びたかったから」だ。マッキンゼーには3年4カ月勤務し、その後、ネイキッドに舞い戻っている。本人によれば、「当時は(ネイキッドが)資金調達ができる人を探していたため、メンバーから声がかかった」という。

ただ、朝倉氏とマッキンゼーの新卒同期で、現在、スポットライト社長を務める柴田陽氏は別の見方をする。「当時のネイキッドはビジネスがうまくいかず、そうとうしんどかったはず。立て直しのために朝倉君の力が必要とされていた」。朝倉氏もミクシィへの株式売却が決まったときは「渡りに船」の心境で、厳しい経営状況だったことを認めている。

2007年4月から、ミクシィへの株式売却まで出資をしていたベンチャーキャピタルのアーキタイプ中嶋淳社長も「一度、朝倉君が抜けたとき、メンバーもすんなり受け入れている。彼がメンバーとの信頼関係を作っていたことが、ミクシィへの株式売却までこぎ着けるポイントとなった」と、周囲との関係作りにおいて、朝倉氏の評価は高い。

結果的にネイキッドはミクシィグループの傘下に入った後、わずか半年ほどで再び売却されている。つまりミクシィは、ネイキッドの事業を使いこなせなかった。ただし、ミクシィはネイキッドを買収したことで、朝倉氏という人材を手に入れた。

米国シリコンバレーで主流になりつつある「アクハイヤー」(買収と採用を組み合わせた造語)を早くも体現していた事例と言えるだろう。

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