大学博物館という至福−−静かに進む東大の試み

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共同通信記者 岩川洋成

 東大・本郷キャンパスの通称「赤門」をくぐり、右手に進んだ突き当たり、広大な敷地の外れというと失礼だが、学生の行き来もまばらな一角にその建物はある。東京大学総合研究博物館。いつもはひっそりとした空間が5月のある日、ちょっとした喧噪に包まれた。

 東大創立130周年記念行事の一環として開催中の「鳥のビオソフィア--山階コレクションへの誘い」展を、皇太子ご夫妻が鑑賞に訪れたのだ。雅子妃、実に4カ月ぶりの東宮御所外での公務とあって、報道陣も多く詰めかけた。

山階鳥類研究所といえば秋篠宮が総裁を務め、ご結婚前の黒田清子さんも研究員として籍を置いた、皇室とゆかりが深い財団法人。鳥の剥製や関係資料など、10数万点にも及ぶ収蔵品の一部を、初めてまとまった形で公開する場に同博物館が選ばれた。同館の特任研究員でもある秋篠宮と紀子妃の案内に、雅子妃は中国の鳥を指して一言「モノトーンですてき」。終始、笑い声が絶えなかったという。

「すてき」とは言い得て妙だ。なにしろこの展覧会、無味乾燥に資料が並ぶ、ありがちな自然科学系の博物館とはひと味もふた味も違う。もしかすると美術展よりもはるかに見せることにこだわった、まさにすてきな空間だった。

エントランスでは、絶滅した巨大鳥類エピオルニスの卵(複製)と、抽象彫刻の巨匠ブランクーシの作品「空間の鳥」が対になって出迎える。壁面にはレオナルド・ダ・ヴィンチの「鳥の飛翔に関する手稿」、シュルレアリストの手による卵の写真に鳥を描いたミロの石版画。人類の、鳥という生きものに対する想像力に思いを馳せよ、とでも言いたげな品々だ。

昭和天皇に献上されたという剥製群は、そのレトロなガラスケースまでが美しい。「調度」と呼びたくなる標本棚に、卵形に浮かび上がるスポットライト。そしていちばん奥の部屋には、特注の六角形のショーケースに入れられた珍鳥の剥製たちが妖(あや)しく浮かび上がる。

科学は美しい--。ため息とともに湧き上がる感慨はまさに、同館が発信し続けてきたメッセージである。曰(いわ)く「アート&サイエンス」。だがそれは大学博物館というまだ日本でなじみのない特異なミュージアムを、新しい知のインキュベーター(ふ卵器)に位置づけようとする野心的な戦略の一端にすぎない。

貴重な資料が眠っている知を体系化できないか

東大総合研究博物館は1996年、それまでの資料館を改組・拡充する形で発足した。国内初の教育研究型ユニバーシティ・ミュージアムを立ち上げるに当たり、弘前大から呼び寄せられた西野嘉章教授(当時助教授)は、資料館に足を踏み入れたとたん驚愕したという。「古代生物の骨が、無造作に廊下に積まれている。植物標本、いわゆる押し花を挟んだ新聞紙が、植民地時代の中国や台湾の貴重な邦字紙だったりする。明治時代の実験器具や数理模型の美しさにほれぼれしても、専門領域からは見向きもされない。いわば巨大な粗大ゴミ倉庫だった」。

1877年の創設以来、東大には600万点を超える学術標本が蓄積されている。資料館にはそのうちの240万点。西洋美術史が専門の西野の目には宝の山に映った。だが、どこに何があるかもわからないゴミの山では、コレクションとは呼べない。これを体系的に整備し、誰にでもアクセス可能なデータベースを構築したなら、そこからまったく新しい知の領域が生み出されるかもしれない--。

開館以来60回以上に及ぶ展覧会は、その実験場だ。

先述の「アート&サイエンス」もその一つ。アートという文脈上に学術標本を置いてみる。「CHAMBER of CURIOSITIES/東京大学コレクション--写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」では、広告写真の第一人者が、動物の骨格、剥製、ホルマリン漬け標本などの学術標本を、モノそのものの美しさを引き出す超絶技巧で写し出してみせた。世界的な写真家杉本博司の「観念の形」シリーズは、所蔵の数理模型コレクションを撮り下ろしたものだ。

それだけではない。01年の「真贋のはざま」展では、学術標本の持つ複製性に着目するところから始まり「デュシャンから遺伝子まで」を副題に壮大な「コピー文化史」を描き出してみせた。

押し花標本を挟んでいた新聞紙を整理、分析する作業からは04年の「プロパガンダ1904-1945~新聞紙・新聞誌・新聞史」という展覧会が生まれ、「古新聞学」ともいえる分野のありようを示す。同年の「石の記憶-ヒロシマ・ナガサキ」展は、同大地質学教室が被爆直後の広島、長崎で収集した岩石や建材を通して、原爆へのもう一つのまなざしを提示して見せた。

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