(第12回)阿久悠の履歴書3--3年間で1000本の映画漬け高校生活

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●1000本の映画代はどこから捻出したのか?

 それにしても、高校3年間で1000本とは尋常な数ではない。

 洋食のテーブルマナーも、ホテルのチェックインの仕方も、女性のエスコートの仕方も、すべて映画から学んだという彼の映画代は、一体どこから捻出したのだろう。

 結核の病み上がりということで、例外的にバス通学を許された彼は、地方の一巡査の息子であり、決して裕福な家の子でなかった。
 それにしては少年期から、彼はモノに恵まれて育った。
 ポータブル蓄音機にレコード、ラジオや『少年クラブ』などの雑誌。母親はその理由を、月給取りで現金があるというだけで、田圃も畑も舟もない深田家は、「たぶんこの町でいちばん貧乏」なのだと、この夢多き子に諭(さと)したらしい。

 それにしては、深田少年は過保護に近いほど大切に育てられている。

 その理由として、跡取りとなるべき長男が戦死したという事実があった。
 また、成長期の栄養失調が原因で、次男である深田少年を結核にさせたことも、親としてはかなり堪(こた)えていたようだ。

 高校時代に、1000本近い映画を見る小遣いを与える余裕が、この家にあったというのではなく、就職した姉からのカンパも含め、かなり無理をして病み上がりの彼を、自由に遊ばせていたのだろう。
 副収入のない巡査の倅(せがれ)が、高度成長以前の昭和30年代初頭に、東京の私立大学に進学するというのも、普通では考えられないことだ。

 だが、この島に「お前の住み場所はない」と親から釘をさされた、架空の世界を夢見がちな少年の東京への「飢餓と憧憬」は、日増しにつのるばかりであった。
 終戦の年の9月、教科書に墨を塗り、戦争という過去をなかったことにされたかつての小国民は、"民主主義の子"として、異世界への夢を存分に膨らませていた。

 やがてその少年は、「飢餓と憧憬」の新しい形を歌謡詞として表現し、墨塗りという"恐るべき儀式"に、痛快な復讐を企てるのである。

高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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