(第21回)数学大国江戸の日本~地方に広まる和算~(その2)

桜井進

 関孝和以降の和算は明治維新まで急速な発展と普及を遂げていくこととなります。関孝和、建部賢弘の数学は関流として確固たる和算の王道をつくりました。そしてそれに対抗する形で多くの独自の流派が現れました。その中でも特筆すべきが、安島直円と会田安明という山形出身の二人の和算家です。
 昨年、山形大学理学部数理科学科と山形県和算研究会が企画した「和算にしたしむ」で講演を行った際に山形大学付属図書館の和算資料コレクションを拝見する機会がありました。写真左手は山形県和算研究会の奥山安男氏です。
山形大学附属図書館

●安島直円(あじま・なおのぶ、1732~1798)

 安島家は羽前新庄藩(今の山形県)の江戸定府の士です。入江応忠、山路主住(やまじ・ぬしずみ、1704~1772)のもとで関流の和算を学び、和算中興の祖と称される数学者です。その研究は独創性に富んだものでした。
 「不朽算法」(1799 年)という安島の遺稿を日下誠(くさか・まこと、1764~1839)がまとめた2巻にあるのが、対数の考えです。安島は対数のことを配数と呼び、対数の性質log xy=logx+log yをもとに対数表をつくる方法を編み出しています。このアイディアは後にヨーロッパの数学で対数表作成の際に使われることになるものでした。
 関孝和、建部賢弘の円理(円周率の計算)についても、初めて円の面積から円周率を求めることに成功しています。の無限級数展開を発見し、極限操作を二度行う円理二次綴術(一種の2重積分)を創始しました。安島はこの理論を多くの問題に適用して問題を解いてみせました。

 さらに安島は世界にその名が知られています。三角形に内接する3円が互いに外接するとき、その接点と三角形の3頂点を結ぶ3直線が1点で交わります。この交点がAjima-Malfatti Point と呼ばれています。
Ajima-Malfatti Point
 このような業績を残した安島は多くの弟子、坂部廣胖、日下誠、馬場正督らを育て上げました。日下誠からは内田五観が、内田からは法寺善、桑本正明ら幕末の数学者を多数輩出することになりました。優秀な弟子をつくることが数学の発展には必要です。まさに安島直円は成熟した和算の黄金期を生きた数学者だったといえるでしょう。

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