靖国神社合祀で新たに浮上する「2つの課題」 "賊軍"合祀運動も

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16年6月に配信された共同通信のインタビューで、徳川宮司はこう持論を述べている。

「私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」

「向こう(明治政府軍)」「こちら(幕府軍)」という言葉遣いには、「薩長史観」への違和感がにじむ。が、「賊軍」合祀については、「無理だ」とも明言している。

最大のネックは、靖国神社の前身である東京招魂社の創建由来にある。明治維新を偉業として後世に伝えることを目的に明治2(1869)年、明治天皇の命によって官軍兵の戦死者を祀ったのが由来とされるからだ。

亀井氏は17年1月にあらためて「賊軍合祀」を申し入れる。「押して押して押しまくろうと思っています」(亀井氏)

前のめりな亀井氏と対照的なのが、元自民党幹事長の古賀誠氏だ。靖国神社のA級戦犯分祀を唱えて20年近くになる。

「焦っているんですよ、正直言って」

古賀氏は、遺族が高齢化する中、天皇の生前退位も取りざたされている状況を踏まえ、こう本音を吐露した。

「ほんとに今上天皇にね、お参りしてもらいたいなと、思いますねえ」

しみじみと一語ずつ、区切るように語った。「英霊」は天皇の軍隊だった時代の戦死者だ。古賀氏は天皇の靖国参拝を復活させるためには、A級戦犯合祀の解消が必須と考えている。

分祀でなく宮司預かり

A級戦犯合祀の経緯を振り返ろう。極東国際軍事裁判でA級戦犯とされ、処刑などで落命した14人について厚生省(当時)は66年、祭神名票に書き加えて靖国神社に送付した。当時の筑波藤麿(ふじまろ)宮司は「宮司預かり」とし、事実上これを保留。合祀は筑波宮司の死後の78年、後任の松平永芳(ながよし)宮司の判断による。

古賀氏は合祀の判明後、昭和天皇が参拝されなくなったとして、「不快感をもたれたのは事実」と指摘。その上でこう唱える。「今になって分祀と言うと抵抗のある人も多いでしょうから、宮司預かりに戻すのが最善だと思います」

02年から10年間、日本遺族会会長、93~06年に靖国神社の最高意思決定機関「崇敬者総代会」にも在籍した古賀氏の「分祀」要求を拒み続けたのは、靖国神社だけではない。

「遺族会がまとまれば政治の場へ持ち込める」。古賀氏はこう信じ、長年遺族会に働きかけてきた。だが、遺族会内部にも根強い抵抗がある。根底にあるのは、A級戦犯の「裁かれ方」に対する嫌悪と疑義だ。

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