世界史から見た、おんな城主・井伊直虎の真実 同時期に世界でも女性君主が多かった理由

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井伊直虎がお家のため一心不乱に務めを果たしていたのと同じ時期、ヨーロッパ大陸の西北に浮かぶ大ブリテン島に二人の女王が君臨していた。イングランドの女王エリザベス一世とスコットランドの女王メアリ・ステュアートがそれである。

両王室とも、王位継承にあたっては血の濃さを重要視し、男女の子供がいれば男子、複数の男子がいれば長男、女子しかいなければ長女にという優先順位を慣例としていた。

直虎と同時代の女性君主、メアリー1世とエリザベス1世

メアリ・ステュアートの場合、長兄と次兄が早くに亡くなり、彼女自身は長姉であったことから、父ジェイムズ5世の死とともに王位を継承した。

いっぽうのエリザベスの場合、波乱に富む経験をした。彼女の父ヘンリ8世はイギリス宗教改革を行なった人であるが、その動機は教皇の許しを得ることなく、自由に離婚と再婚を繰り返すことにあった。正式な王妃だけでも計6人を数え、一男二女はそれぞれ母親を異にした。

ヘンリ8世亡き後、まず即したのは唯一の男子エドワード6世で、エドワード6世が亡くなると、長女のメアリ1世が即位した。在位わずか5年にしてメアリ1世が亡くなったことから、次女のエリザベスにお鉢が廻ってきたのだった。

同じくヨーロッパ王室でも、女子の相続を認めるか否かについての統一はなされていなかった。たとえば、オーストリアではそれが認められず、カール6世が根回しして諸邦の承認を得ていたにもかかわらず、彼が死ぬと約束が反故にされ、プロイセンやザクセン、バイエルンなどが長女マリア・テレジアによる相続を認めず、オーストリア継承戦争が起こることになった。

マリア・テレジアと同じ18世紀、ロシアではエカチェリーナ1世、アンナ、エリザヴェータ、エカチェリーナ2世という4人の女性が前後して君臨。4人の在位期間をあわせると70年にもなることから、ロシアの18世紀は女帝の時代と称してよいかもしれない。

この4人のうち、エカチェリーナ1世はリトアニアの農家、エカチェリーナ2世はドイツ貴族の家に生まれ、前者はピョートル大帝の皇后ではあるが後妻であり、自分がつなぎにすぎないことをよくわきまえていた。文字の読み書きができなかったことから、政治はすべて夫の側近たちに任せ切りにしていた。

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