エチオピアに単身渡った日本語教師の矜持 エリート職を捨てて移住した理由

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古崎さんが日本語を教えるメケレ大学(写真:上野きより)

古崎さんが生活するのは大学のキャンパスから徒歩で15分のところにある家だ。エチオピア人の家主が住む家の裏にある、もとはお手伝いさんの寝泊まり用に設けられた3部屋にネコ6匹と暮らしている。

3部屋は、それぞれ仕事部屋、寝室、キッチンとして使っている。寝室にあるバスルームは普段はタンクに入った水を電気で温めたお湯が出るが、導線が焼けてしまい水のシャワーが続くということもある。

家賃は光熱費込みで毎月2000ブル(約1万円)。大学からの給与は月1万ブル(約5万円)で、エチオピアでの生活費は先進国に比べればはるかに安いとはいえ、さすがに大学から得る収入だけでは生活はできないので、日本で働いていた頃にためていた貯金を少しずつ取り崩して賄っている。古崎さんは「収入は少ないが、ここにいるとそれほど生活費もかからないし、何より仕事がとてもやりがいがあって楽しい」とほほ笑む。

エチオピアに渡ったきっかけ

横浜市で育った古崎さんが初めて海外で暮らしたのは高校時代。通っていた桐蔭学園が米国の名門寄宿学校チョート・ローズマリー・ホールと妹校提携をしたのがきっかけだった。学内の留学試験を受けて合格し、ケネディー元大統領の出身校でもある同校約3年間通った。帰国してお茶の水女子大学へ進学。学生時代は合唱のサークルざんまいだった。

卒業後はアクセンチュア(当時アンダーセン・コンサルティング)に就職。観光庁の文書管理システムや、半導体メーカーのサプライチェーンなどのプロジェクトを担当し、約13年間働いた。年収は1200万円で、エリート職だった。

エチオピアで初めて暮らしたのは2008年。アクセンチュア社内に社会貢献の1つとして社員を海外へボランディアとして派遣するプログラムがあった。当時、アクセンチュアでの仕事は大変だった。ストレスで食べてしまい、太る一方だった。何か違うことをしよう、と応募して合格、エチオピアに派遣された。

派遣期間は約9カ月で、滞在中はアディスで環境問題を扱う小さなNGOの運営に携わり、事業5カ年計画を立てる手伝いをした。仕事で自分の及ぼすインパクトが大きく、やりがいがあった。生活面でも家事が「大嫌いで苦手」という古崎さんだが、安く雇ったお手伝いさんに家事の一切を任せられた。

長屋のような住まいの敷地内には外国人が4組と大好きなネコが暮らしていて楽しかった。エチオピアも今では最近の著しい経済発展で自動車も激増し、特にアディスは中古自動車から吐き出される排気ガスに悩ませられるが、2008年当時はアディスでも牛、ヤギ、ラバがたくさん通りを歩いており、のんびりとしていた。古崎自身もジョギングをするなど健康的に豊かに暮らせた。

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