あの「ブルマー」は、どのように生まれたのか 女子の身体と戦後日本についての研究本
あまりの戦績に、とうとう文部省も全国大会を容認する事になるのだが、最後の砦「教育」の旗印を必ず掲げよという姿勢を崩さなかったのだが、それこそがブルマーの短期間での普及へと繋がっていくのだ。
ゆとり教育も真っ青な「競わない体育」の実践が戦争直後に行われていたとは! そして、巡り巡って、その結果がブルマーに落とし込まれるとは! 読み進めるまで想像すらしなかった。著者が公の情報と足で稼いで集めた情報を結びつけ、バラバラの状態から組み立てて結論を出していく過程には圧倒される。
ヘンタイと勘違いされる事もあった・・・
終盤では、なぜ30年もの間ブルマーが幅を効かせることが出来たのか、そしてなぜ衰退してしまったのか、その謎解きへも話が進んでいく。90年代にブルセラブームが巻き起こったことを覚えてらっしゃる方も多いだろう。巷ではブルマーを性的に扱う現象が起きた為に学校から消えたとされているが、著者はそこへも疑問を呈する。本書の導入部でもこれを含めいくつかの言説を紹介しているが、それだけでは30年もの間の隆盛と消滅の理由として十分ではないと指摘するのだ。
そして、とうとうある結論に辿り着く。ヒントは何と海外にあったのだ。シンガポールの日本人学校でのブルマー着用事件を現地取材までして追う事によってそれは炙り出される。あの形状からは思いもよらぬ役割を、著者はブルマーの中に見出す。
ブルマーの研究、一言で言えば単純なものだが、謎を解く手がかりはあちこちに散らばっていて一括りには掴みきれない。ヒントも中々見つからない、無責任な言説もあちこちに落ちている。著者は突破口を求め、ありとあらゆる場所に手がかりを探っていった。テーマがテーマだけに研究名目で問い合わせてもヘンタイと勘違いされる事も何度かあったという(だろうなー)。
しかし、そうやって探し出した謎解きのきっかけ、その一つがなんと著者の実家にあった。幸せの青い鳥は、いつだって近くにいるものなのだ。これを偶然と言うには、あまりにも出来すぎている。フィクションだったら、まず採用されない展開だろう。
著者の実家はかつて洋品店を営んでおり、その残された在庫から普及期のブルマーが見つかったのである。さらには「ブルマーのミイラ」まで発見されていく。それは今、著者の本棚に移され、ひっそりと眠っているそうだ。それにしてもブルマーのミイラ、すごいネーミングセンスである。
永遠の眠りについたブルマーは、今頃本棚で何の夢を見ているのだろうか。
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