59歳社長の自殺を招いた「酒による擬似うつ」 「もはや進退窮まれり!」の前に酒をやめよ

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遠藤さんは結局、3週間入院した後に退院。その際、私は遠藤さんにこう伝えました。

「これまでは、ご自身の代謝能力以上に飲んでいました。そのため、睡眠の質が悪くなって、疲れがとれなくなっていたのでしょう。責任の重いお立場でしょうし、解決しなければいけない案件も多々ある。アルコールで疲れ切った脳では、いい解決策も浮かびません。今日から断酒して、関係者一同に『医者から厳しく酒を止められている』と宣言してください。社外の人との会合で飲まされる場合は、1杯目は焼酎をごく薄くして飲んで、その後は水を『焼酎だ』といって飲み続けてください」

うつ病そっくり!「こころの二日酔い」の脅威

遠藤さんは、アルコール依存とまではいえませんが、アルコールが睡眠の質を損ねることへの認識が甘く、そのため酒で体調を崩していました。深酒は、翌朝の抑うつ、不機嫌、意欲低下に自己嫌悪を伴う独特の心理状態をもたらします。イギリスの作家エイミスはこれを“Metaphysical hangover”(「形而上的二日酔い」)と呼びました。

「形而上的二日酔い」は、一見するとうつ病そっくりですが、治療法は抗うつ薬でなく、断酒です。前任の医師がアルコールの問題を把握しておらず、断酒指導もなしに抗うつ薬を漫然と投与していた点は、同業者として困惑せざるをえませんでした。

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遠藤さんはその後、約束どおりに酒を断ち、生活リズムを整え、適度に運動し…と、生活習慣の改善を行い、日に日に回復していきました。現在、抗うつ薬にまったく頼らずに、安定した状態を維持できています。社内のトラブルも合理的な解決が得られたようで、診察室で話題にすら上らなくなりました。

では、不正経理を気に病んで自殺を図ったとの第一報はいったい、何だったのでしょうか。もちろん、それはそれで深刻だったのでしょう。しかし、命と引き換えにするほどの事態ではなかったようです。実際、酒の入らない冷静な頭脳で落ち着いて考えれば、難なく乗り切れたはずです。

「形而上的二日酔い」の脳では、事態の深刻さを見誤ります。実際には対処可能な問題なのに、「もはや進退窮まった」と誤認させ、自己破壊的な行動に及んでしまうこともあるようです。

エグゼクティブは確かに多忙ですが、コンディションの整った頭脳ならば、膨大な案件の中に優先順位がみえてきます。孤独であることは確かですが、それでも冷静に周りを見渡してみれば、周囲の誰に働きかければ事態が動き出すかもみえてきます。

つまり、本来優秀な頭脳を十全に機能させること。そう考えれば、エグゼクティブにとって本当の脅威は、ハードな仕事自体ではなく、むしろアルコールとそれによる睡眠の質の低下のようです。

井原 裕 獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授

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いはら ひろし / Hiroshi Ihara

1962年鎌倉生まれ。獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授。東北大学(医学部)卒。自治医科大学大学院、ケンブリッジ大学大学院修了。順天堂大学准教授を経て、2008年から現職。日本の大学病院で唯一の「薬に頼らない精神科」を主宰。専門は、うつ病、発達障害、プラダー・ウィリー症候群等。精神科臨床一般のみならず、産業精神保健、刑事精神鑑定等にも対応。著書に『生活習慣病としてのうつ病』(弘文堂)『うつの8割に薬は無意味』(朝日新書)など

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