松下幸之助は「凡人だからこそ成功できた」 経営の神様が問わず語りに語ったこと

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けどな、強いて言えば、わしが凡人やったからやろうな。人と比べて誇れるようなものはない。それがよかったと思う。

前にも言ったけど、学校は小学校4年中退や。勉強しとらへん。それは父親が、わしの4歳のときに米相場に手を出して失敗してしもうたからな。それまでは、そのあたりではけっこう素封家(そほうか)であったらしいけど、いっぺんになんもなくなってしまった。家族は両親と兄姉で十人家族であったけど、それで一家はみんな和歌山市内や大阪に出て働かんといかんようになった。もう帰る故郷もなくなったんや。

ところが、家族はわしが故郷を離れる2年ほど前から、次々に死んでいく。わしの7歳の時に姉のひとりが死んでから28歳までに、親兄弟みんな死んでしまった。頼るべき人もいない。しかも、わしは20歳のとき、肺尖カタルにかかってしまった。まあ、結核の初期の状態やな。この時、わしは来るべきものが来たと思った。というのは、親兄弟みんな結核で死んでおるんや。それからは、気をつけながらの人生ということになったわけやけど、健康ではなかったわね。

そういうことを考えても、人に誇れるものはない。人に比べて、抜きん出ておるものもない。まあ、平凡な人間やと。けど、そういうことがよかったのかもしれんな。わしが学校を出ておる。そして秀才やと。あるいは家柄もいい。金持ちやということであったとすれば、こういうことにはならんかったかもしれん。

幸之助の人生を背景に生み出されたものが多い

わしは、会社の経営で、いろいろなやり方を考え出したけど、どれも、わしのそういう人生を背景に生み出されたものが多いというわけや。

たとえば事業部制にしても、あれは世界的にも早い時期らしいけどな、わしは、そういうことで、体が悪かったからな、直接に仕事をやるということは出来んかった。それで、わしに替わって仕事をやってもらおうと。そこで、わしの考えの中から、ごく自然にそれぞれの製品別に事業部を作って、経営者を決めてやってもらった。それが人材の育成とか、責任の明確化とか、そういうふうなことに結びつくと考えられるわけやけど、わしが始めたんは自身、体が弱かったからやな。それがきっかけやな。もし、わしが健康で頑健な体をしておったら、一から十まで全部自分がやってしまっておったと思うな。幸いにして体が弱かった。それがよかったということや。

みんなに聞きながら、経営を進めていくことが大事やということは、さっきも話したけど、衆知を集めて経営をしたのも、わしが学校出てへんかったからやな。もし出ておれば、わしは人に尋ねるのも恥ずかしいと思うやろうし、あるいは聞く必要もないと思ったかも知れん。けど、これも幸いにして学校へ行ってへん。勉強してへん。そういうことであれば人に尋ねる以外にないということになるわな。そういうことで、経営も商売も人に尋ねながら、人に意見を聞きながらやってきた。それがうまくいったんやな。そういうことを考えてくると、今日の、商売におけるわしの成功は、わし自身が凡人やったからだと言えるやろうな。

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